作者より:
>おぼろんさん
ありがとうございます。
改めて読み返してみると、「死んでて」という言葉だけで、
詩全体が非常にネガティブに、そして排他的で攻撃的にさえなっていると感じました。
実は書いている間は、全くそのことに気付かなくて、
「死」は寧ろポジティブで、気持ちいい言葉だとさえ感じていました。
「死んで欲しい」ではなくて「ゆっくり死を味わっていて欲しい」という感じなのですが、
それでもまだ危ないかもしれませんね。
そして「実はこういう思いで書いたんです」という弁明には意味が無いと思っていて、
詩は書かれた後は、読者に委ねられるものなので、
僕の言葉の選び方が悪かったという他ありません。
それに、優しい気持ちで書いていれば、こういう表現はしなかったでしょうし、
僕自身が、意固地な感情に陥っているのだと思います。
丁寧なコメント、本当にありがたいです。
>アラガイsさん
ありがとうございます。
僕は現代の生活や街が、とても好きです。この世界に対しては肯定的です。
同時に、アラガイsさんが仰る通りの危惧もしばしば感じています。
閉鎖的な感情の中で、世界全体や自分自身を概念化して殺してしまって、
肉体や匂いや、世界の細部への愛情、今を生きている感覚を、完全に失ってしまうのではないか、と。
ときどき、この肉体が本当に邪魔だ、と思ったり、何も無い場所に逃げたいと思います。
ですが、その気持ちを突き詰めようとか表現しようと考え過ぎると、
単に人間嫌いになってしまって、本当の喜びも、楽しみも、悲しみも、みんな無くしてしまって、
現実的には、辿り着くのはただの社会的な孤立だけだと思います。
僕は随分長い間、光を描けていません。
かなり最近になって(この詩は少し前に書きました)、自分の中に変化の兆しを感じているのですが、
でも、これからどうなることか分かりません。
今はある好奇心や温かい感覚や、ぐっと来るような感情が続くのか。
逃避願望や無関心などではない、愛を感じていたいのです。