海の花の標本/由比良 倖
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- アラガイs 

拝見しました。梅の花の標本。素敵なタイトルだなって一~二度くらい眼を通してみたのですが、結局よくわからず仕舞だった。私に読解力が無いのもあるのでしょうが、コロナとか火葬とか、比喩かなんだかわからない語彙が沢山出てきて、特に~大きな星が降りてきて~自動化された遊覧船を笑って。この辺りはさっぱりのみ込めなかったです。
現代詩は難しくてよくわからない。少しだけ詩に興味のある人たちからよく聞かされる言葉ですね。そのほとんどは比喩に置かれているのでそれも当然でしょう。詩を書いている我々だってわからない詩はわかりません。べつに難しく拵えるだけが現代詩らしさではないと思う。僕もそうでしたが、他人が格好よくそれっぽく書いているからって気にすることはないと思う。でもやはり気になりますよね。自分がいいと思う詩を沢山読んで模倣する。これもいい勉強になりますが、先ずは何が書かれてあるのか、何を伝えようとしているのか、読み解いたうえでの模倣が先行にならなければ身には付かない。偉そうに書きますが、私はたくさん他人の詩を読んでたくさん下手な批評を書きました。それが一番いい勉強になったな。と下手な書き手ですが、自負はあります。たくさん読んで自分で解説してみることをオススメしたいのです。誰にも壁は立ち塞がる。そのときに思いがけない発想を発見する力にもなる。そう思います。


 
作者より:
>アラガイsさん

ありがとうございます。そして、すみません、と言いたい気持ちがあります。
投稿しておいてこういうのは、不遜なような気がするのですが、
僕の詩作が定型化するのを避けたくて、今回は本当に、読まれることをあまり考えない詩を、
投稿しました。だから、少し申し訳ない気もしています。
毛色を変えたのではなく、もともと僕の毛色はこの詩の感触に近いと思います。
もっともっと自由に書くためのステップとして書いた部分もあります。
出鱈目は書いてはいないつもりです。
イメージの一貫性はあって、それで書いたのですが、でもそれが、
読まれる方にきちんと伝わるように、という意識は希薄なので、それこそ自慰行為に等しいと思っています。
いくら「現代詩」であっても、そこに他人がいなければ、
僕はそれを、あまり自分の作品としては捉えたくありません。
「現代詩」的にしようと思ったり、奇を衒ったつもりは、本当に無くて、自慢でも何でも無く、
こういう言葉は、割とすらすら書けます。それが良いことかは分かりません。

アラガイさんは、非常に読解力のある方だと思います。
なので、僕の書き方が拙いと思っています。
読んで頂けて、本当に有り難いです。

もっと言葉と、自分を深めていって、良い詩を書きたいと思っています。
いつもありがとうございます。

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