秋のサイクリング/番田 
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- アラガイs 

拝見いたしました。せっかく散文として投稿されているので、感想などを少しだけ。一連などから大まかな読みをすれば、時代とともに移ろう景色。その刹那に追想は我が胸を淋しくも流れ、っていうことでしょうが、二連目ですね。南ベトナムからニューヨーク、ヨーロッパの道路事情が少しだけ語られていますが、このことが国柄を反映して、なぜいま語り手が住む現在の場所(わが国)と違うのか。その見解はあながち間違ってはいないのかも知れない。それは何か。経済基盤とか人々の景観または歴史遺産に対するお国柄の相違、それでもその大まかな心情は伝わるのですが、なにぶんにも語り手の説明が抜け落ちているために、読み手は眉をひそめたまま勝手に素通りしてしまうのです。そこが残念でもありました。



? 結論には至らないだろう。可笑しなことをいわれますね。それは書き手の結論であって読み手からすれば結論に至るなどとは関係ない。これは散文でしょう?これだけでは説明がつかない。あまりにも不親切な読み物だということですよ。

---2023/09/19 23:29追記---
- wc 
 
作者より:
>経済基盤とか人々の景観または歴史遺産に対するお国柄の相違、それでもその大まかな心情は伝わるのですが、なにぶんにも語り手の説明が抜け落ちているために、読み手は眉をひそめたまま勝手に素通りしてしまうのです。そこが残念でもありました。


「でも、このようなことを考えていても、結論には至らないのだろう。今はどこにいくのかという不安だけが、不確かであって、確かに思える。」
この部分でその説明はされたと考えています。自転車に乗っていた語り手は、見えない明日への不安の中で、過去を振り返っていたということです。

Home
コメント更新ログ