飼い主のない猫 (散文詩 7)/AB(なかほど)
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- リリー 
- ナンモナイデス 
- アラガイs 

飼い主のない猫。端的に言えば野良猫のことだけど、意図的なのかそうでないの
か、飼い主のいない猫。とされていないことにこのタイトルの意味が奇妙な隠喩に置かれていることが読み取れてきますね。二連三連と読んでいけば、なにやら漠然とした不安感に覆われていきます。この不安はなんだろうか。~飼い主のない猫に好かれて、きみの声も、きみの顔も思い出せないのに~ここでのきみとは一体何者で何を指すのだろう。この解釈は単純に相手を指すこともできるし、また語り手自身とも言える。語り手の場合だとしたらより複雑に絡む意識的な解釈が必要になりますね。キーワードでもある。しかし飼い主のない猫とは一体何を指すのか。これは語り手自身の不安な意識に引きづられて迷走する様子にも受け取れる。~きみだけの夜、きみさえも要らない夜~肯定から否定へと何事もなかったように錯綜する。このきみへの思いとは一体何を意味しているのか。すべて漠然とした不安感に包まれていますね。この不安感はどこからくるのか。それさえもわからなくなってしまった僕(わたし)。そのことはニヒリズムに変容していく意識の中に自分を取り込んでいきます。そう捉えるならば、ここに置かれてある「飼い主のない猫」とは、猫からしてみれば飼い主自体がいない、飼われようにも相手もいない、ということになる。そしてこの猫とはまた語り手自身のことをも指してもいて、つまり飼い主のない、とは逆に何事に対しても興味が薄れ意識されずにいる自らへの不安、ということになるのでしょう。
散文体として書かれていますが、その漠然とした内容は非常に複雑に描かれ、また作為的にも読み手を困惑に誘い、しかし読むほどに興味深く解釈の幅も広がる作りだと思うのです


通りかかるとふっと何処から覚えのある匂いがする。それと同時に起ち上がるわけですね。無意識に。昔の記憶が。そんなことはありますよ。
もう一度読んでみたのですが、これは諦めようとする過去の断章をどうしてもふりほどけない自分と、その不安から錯綜するもうひとりの自分がいる。この諦観は何人もの倒錯する自分を作りあげて、わたしは日常をみているのか。それとも非日常をみようとしているのかわからなくなってしまう。という漠然とした不安からきているように感じます。ただ、きみという相手を指す言葉が何を、また単に他人を指すのはやはり謎のままで、これは読み手にすれば推理するしかない。
と思われておもしろいのですが、いや、待てよ、単純にわたしの深読み過ぎで、きみとはやはり昔付き合った相手で飼い主のない猫とは、単純にもうこの部屋には飼い主も居ないのに、猫はそれとも知らずに寄ってくる。というほうが正解に近いのかも知れない。つまり、飼い主のない猫。このタイトルを意味深げに探り過ぎたわたしの負けですね。そう受けとめなければ、この書かれた文章は非常に複雑に読めてしまう。いちいち細かい点を気にして読むとこんな勘違いな解釈を引き起こしてしまいます。これくらいの長さで、そこまで意図的に読み手を奈落の底に突き落とすような工作も無いはずですので、これはやはりわたしの考え過ぎで、笑です。



---2023/09/20 06:48追記---

---2023/09/20 07:03追記---

---2023/09/20 07:07追記---

---2023/09/20 09:20追記---
- wc 
- soft_machine 
 
作者より:
お読みいただきありがとうございます。

アラガイさん
すごい。本文越えちゃってるような。ということでどう返信したらいいか、一旦あきらめました。
ありがとうございます。
後で、レス追加するかもしれません。


---2023/09/22 17:40追記---

アラガイさん
見逃すとこでした。再読いただきありがとうございます。
あれもこれも正解です。正解はないかもしれませんが、正解です。←これ、ちゃんと批評したい方には失礼なのですけど、、
読んでいただき情景をぐるぐるさせるように、少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
---2023/09/23 06:05追記---

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