詩人はどこにいるか/道草次郎
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 田中宏輔 
- アラガイs 
---2021/01/30 02:13追記---
たとえば原石を宝石に磨く。それが詩人の役割でもある。
- 空丸 
- ひだかたけし 
- a i 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- 一輪車
詩人なんかいまどきどこにもいないでしょ。笑
世界認識ひとつ まともにもてないのに
詩人がいるわけがない。
田中宏輔さんのようなほんものの詩人もいるが、
なろうとしてなったわけじゃない。また、詩人である宿命を
うれしがってらっしゃるわけでもない。
なにか詩人であることが金ピカの襟章とでもおもってられるのか?
安易に詩人詩人とふりまわすべきじゃない。


 
作者より:
お読み下さり、ありがとうございます。

アラガイS様、今年一番の投下でした。自分の事が気が付くと、一番みえてません。役割、という語についてずっと考えていました。
---2021/01/31 08:32追記---
一輪車様、コメントありがとうございます。ぼくは詩人になど興味はありません。ただ、軽薄に書くのみです。ただただ自分の放つ言葉になんの責任も持たぬクズとしてです。それからぼくは自分の書いたものはことごとく詩などと思ってはいません。

ただ生活のこと、ばかみたいなことばかりにかまけ、そのはけ口としてこのような事をしています。死ぬ間際、呪詛の言葉を世界に向け吐き捨てることはどうしても自らに許せそうにないため、考え、考えた結果として吐き出す言葉なのです。しかし、それも最近はわかりません。地獄というものが、どんなものかばかり頭を支配しそれが一向に離れないからです。

どうも、人のコミュニケーションの成立についてはかねてより疑問でしたが、もう壊滅的に疑義を呈してきている次第です。自分を、つまりはすべてを呪い尽くすことのみをいまぼくは考えているのかもしれません。世界にたいする関心はそれはそれであるでしょう。ぼくは今病んでいるのでしょうが、そんなこともゴミみたいなものでしょうし、とにかくとことん落ちぶれ、死に際し呪詛の言葉を吐き出すかそうならないか、それだけがいまのぼくにとっての関心事です。

一輪車様は書かれる詩も、散文もぼくなどは到底およばないほど素晴らしいものです。そんな方に批判的なコメントいただけたこと、有難く思います。しかしこうした言い様も、すべからくぼくの肥大化した自意識と傲慢さゆえ、自分のことを自分で始末がつけられるほどの理性を死ぬまでに確保できるか、それが確保されれば或いはぼくはまだ幸せかもしれません。

たいへん嬉しいコメントでした。思えば、それのみです。




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