画用紙の上に散らばっていくクレパス/ホロウ・シカエルボク
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- アラガイs 

通りに面したドアの鍵はいつも緩んでいた。それを確かめないことには落ち着いて眠ることはできない。何度も何度もそれを繰り返している。いくつかの使われない部屋には窓がたくさんあって薄いレースのカーテンが風に靡いていた。外からはまる見えだからと窓を閉めては隙間から外の気配を窺うのは俺自身の眼なのだ。。見覚えのない部屋の仕切りをうろついていは自分の居場所を探し、見覚えのないコンクリートの階段を上がっていく。そして気がついたら見覚えのある中庭には見覚えもない人たちが暮らしていて離れた駐車場のテントへ向かう俺はいつもそいつらの気配を気にしながら裏からこっそりと歩いて出て行った。
こんな夢を以前よくみていましたね。なんでだろう?と思っていたら、いまでは消えてしまった子供の頃の景色が幾十にも重なって現れてたんだね。おそらく。街を車で流していると、あっ、ここには、そうだ、建物があって昔よく遊んでいたような記憶が、なんて思いがけずによみがえることがありますからね。
最近はみることもないですが、たまにアーカイブで古い(といってもわずか二十年くらい前だが)フィルムの擦れたテレビの映像が流れてきて、いまでは見かけないタレントが外国に行って旅の案内をしていたりする。そんなときには何故か子供の頃社会科の授業で眺めていた地図の等高線とか、校庭の隅にあった水場で描ききれなかった水彩絵の具を洗い流している自分とかがふと浮かんできたりして、不思議です。

---2020/02/28 01:31追記---

---2020/02/28 01:35追記---
 
作者より:
☆アラガイさん

長生きすると、一番増えるのは過去だもんね。
もう無い本屋をうろつく白昼夢とか、僕もよく見る。
どの時間を生きているのか、よく判らない瞬間というのが
年々増えてきている気がします。
もしかしたらそういうものに書かされているのかもしれないですね。

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