枯野原/花形新次
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 水菜 
自殺することを考え続けていた頃、私は、ありとあらゆる残虐な動かない身体の画像を集めました。戦争の動画も、様々な逸話も、残虐な歴史も、
全てに耐性をつけようと思いました。自分の本能的な自分の死への恐怖を無くすためにそれは必要なことでした。動物の解体の画像も、目を背けなくなり、鹿の解体を実際に見せていただいたり、教えていただいて、鳥の解体も出来るようになりました。命が終わるそのときをそして、自殺することによって、周りに与える影響も考えましたが、その他にも集めたのは、
自殺を失敗してしまった方々の証言でした。どうすれば確実に自分は逝けるのか、ずっと模索していた時期がありました。いくつかの方法を試しても全て失敗をしてきました。死ぬ勇気を後一歩のところでどうしても持てませんでした。できない自分を責めました。自殺を片付ける方の気持ちを考えたら、自分が死んだ後の処理をどうすればよいのか本気で悩んだ時期もありました。いっそのこと、殺人鬼に出逢いたいと半ば本気で思っていた頃もありました。自殺するよりも殺される方が確実に失敗もなく逝けると考えたからです。

事故物件は、厭なものだと思います。もう動かないその身体を片付ける方々もPTSDになってしまわれる方もいらっしゃるのだと思います。


もう動かない身体、特に、自殺した身体は……ほんとうにことばにできない状態なのだろうと思います。
全ての人が、自殺を考えないような世の中になればよいと思います。

生きていく喜びを全ての方が考えられる世の中になればよいと思います。

いつかそんな世の中になりますように

今私は、こころからそう思います。

今私は、自殺しようとは考えてはいないから。

そんなことをこの作品を目にして思いました。

失礼致します。







- 間村長 

Home
コメント更新ログ