「詩人」という肩書について/葉leaf
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 深水遊脚 
- アラガイs 

そのとおりで、職業でもない限り詩人などという呼称は趣味名を自称するだけの幻想である。大昔の優れた思想家たちによって植え付けられた選民としてのイメージが、我々にはいまでも強く残っているからだろう。


- りゅうのあくび 
---2015/09/06 20:03追記---
詩人と詩と云う存在とは、ある人達にとって、あるいは、ある社会にとって、ある道標になるものだと、定義することだってできます。ですが、詩人あるいは詩、というものの定義は、人それぞれにあるので、傾向が違う場合が多いと云う理由で、定義を試みる人、定義に興味を得る人がままいると思いますが、定義などを創るよりも、作品を作るほうが、もっとも大切な営為と思います。その上でも、詩人と云う肩書きが生きるかどうか、その人次第なのではないでしょうか。
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- オダカズヒコ
varyさんは、8月28日の読売新聞(夕刊)に詩を寄稿されて
おられますよね。社会的に詩人という肩書に合うような活動を
十分にされている様にみえます。
>詩人の社会的影響力は小さく
中島みゆきさんや、椎名林檎さんなどぼくは詩人だと思うし、
社会的影響力も大きいと思います。
マネーも動きますしね。
それに引き換え、ダメなのが文筆を生業とする肩書詩人さん達
ではないでしょうか。
ぼくは詩人というのは、一つの生き方のような気がします。
生き方そのものを発明するのが詩人だと思います。
なので、ほんものの詩人の影響力は大きく、同時に彼らは、詩に
よって、経済活動も行えるのだと思います。
自称詩人が力を持ちえないのは、本物じゃないからですよ。
宮澤賢治だって、後世の我々に、尋常じゃない影響を与えていま
すよね。
なのでこのvaryさんの論述には、全く納得いくところがないです。

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