行為/こひもともひこ
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- ゴースト(無月野青馬) 
>民主主義を善しとする世の中では、選挙を勝ち抜いた者が代表者となり、物事を決める場所へ赴く。代表者を選んだのはわれわれである。
>投票率が変わらないのであれば、代表する者たちにとっては痛くも痒くもない祭りにしか映らない。代表者に脅威を感じさせるのは直接的な声ではなく、選挙結果につながる投票率の高さだ。
この2点は、その通りだと思います。
行動するなら、プラスの変動値を得たいものです。
でも、まずはデモというのは悪くはないと思うのです。
8月30日の国会前デモでは、NHKの調査では初参加の人が3割だったそうで、親子での参加者も多くいたようです。
選挙法が変わり、18歳で投票出来るようになりました。
デモは入り口。
デモに行き、政治に触れ、そこからですね。
ちなみに、
僕は、橋下さんには賛成か反対かなら、反対です(笑)
ただ、支持する人には支持する理由があると思いますので、
これで終わります。

すみません!
見直してみたら、
名前を書き間違えていたことに気付きました。
単純に書き間違えていました。

---2015/09/04 02:28追記---
---2015/09/04 23:11追記---
- 媒体 
- アラガイs 

安保法案で騒いでいるのはゆとりのある人々だろう。 実際、将来に大きな不安を抱えて働くいまの若者たちに、政治の問題などを考える余裕があるだろうか。日々食べて生きていくのに精一杯なんだ。 橋下のようなタレント議員はどうせ独裁色に染まるだろうから大嫌いだが、いまの選挙システムから政治行政の全てを変えてくれるのならそれでも良しとするよ。



- ただのみきや 
- たけし 
なんかねーこひも師の言うことも解るし分業間接民主主義が正しいわけもなし。
結局、権力=金=経済なわけで。詩に政治性があるなら、それは「社会はあくまで個人のために存在しているのだ」と論理ではなくvisionとして提示していく阜サmediaとして、でしかないと私は思うよ。。ゞ

〇や、結局、政治権力=政府を巡る闘いでしょ。まあ近視眼的対処療法的にはこひも師のいうとおりなんだけどさ。結局、政権闘争というエゴイズムは変わらないわけでさ。マルクスも最終的には(ドイツイデオロギーで)プロレタリアートであれ何であれ独裁政権は否定したんだけど、共産党宣言の影響たるや…〇…結局、今の間接民主主義を認める国民は「政権」の独立性自体は認めるわけで。
個の意識から変わっていかないと、あと千年も経てば国家やそれに基づく人類は終わり、ってことで。いずれにせよ生産性ないと思うよ、こひもさん、こういうギロンはσ(o・ω・o)/タイムスパンのもんだいだけどね♪
- とよよん 
2つの組詩で、一つ目は引用と自作の詩を交互に挟むサンドイッチ詩、2つ目は引用がないですが、終連と同じものが三回挟まれていて、改行のない散文部分と交互になっていてダブルバーガー(トリプルバーガー?)のようだと思いました。そのハンバーグ(終連部分)が散文のパンで挟み込まれるので、ハンバーグが終連部分だけにあるよりもしつこくなく、おいしくできたと思いました。欲を言えば詩文の内容的に、候補者として立つ方の理由付けがもう少しあるといいです。
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- 眠り羊
投票こそが民主主義――であるならば。
政府は、多くの憲法学者の方々や、内閣法制局長官経験者、最高裁長官経験者の方も違憲と述べている法案を解釈改憲で通そうとするのではなく、憲法改正の手続きを踏んで国民投票を行った上で、審議すべきです。
国会議員を選ぶ選挙で多数を得たからといって、論理の筋から言って必要な手続きをバイパスする特権まで、政権与党に与えているとは考えられません。
このまま法案が成立してしまうなら、どんなセコい手を使っても、法の形式さえ備えていればOKということになってしまう。
また、これだけ強く投票を呼びかけるのであれば、政府に対しても、一票の格差是正を強く求める必要があると考えます。

---2015/09/09 追記---
何度も読んで、デモは民主主義的に意味のない祭であり、政治を変えるのは投票のみと強く訴える作品と解釈し、「・民主主義」と項目を立てていることから、投票こそが民主主義という趣旨と解したのですが、違うということですね。

ただ、私には、こひもともひこさんがどうして投票率に強くこだわられるのかがいまひとつわかりません。やはり、自分の一票に意味があると思えなければ、投票に行く意欲も減退すると思うので。

また、いただいたコメントを見ても思うのは、民主主義は、多数票を得さえすれば、何をしてもいいというわけではないはずだということです。
違憲だと指摘される法案なら、法案の前に、まず憲法を改正するのが筋です。憲法改正には国民投票が必要。憲法改正のための国民投票と代表民主制は対立するものではありません。それだけ重要なことだから、国民の意思を問うということでしょう。

---2015/09/10 追記---
えーと、それでは、この作品でこひもともひこさんが最も言いたかったことは、政治を変化させる力があるのは、個人による投票行為または立候補だと、そういうことですか?

多数票を得さえすれば何をしてもいい、なんて言っていないということですが、国民が政治に参加するには投票するか立候補するしかないとしたら、次の選挙までは何も方法がないということになりませんか?てことは、それまで国民は多数票を得た者に従うしかないということになるでしょう。
大臣も国会議員も憲法を尊重し、守る義務があるのに、憲法違反と指摘される法案が通されようとしている、そしてその前に国政選挙はない。だから多くの方がデモに参加するのではないですか?

近く国政選挙がない以上、「祭りみたいなデモをしてうっぷんを晴らしたところで、投票率が上がらないのならまったく意味などない。」と言うのは、ナンセンスだと思います。

それから…安倍首相が無投票で再選したのは、対立候補の推薦人の数が集まらないようにしたからでしょう。無投票再選の理由を、デモがプレッシャーにはなっていないから、とするのは無理です。むしろ、余裕がないということでしょう。

---2015/09/12 追記---
脳内変換?…(苦笑)
思い込みが激しいのはどなたでしょう。

作中の「安保法案反対もデモも自由だけど」という記載から、「デモなんてするな。」ということではないとわかっていますよ。自由と言いながらも、狭量な理屈でデモを批判されているのが目に余ると感じたからコメントしたのです。

投票に行かないということも、有権者の意思表示の一つでしょう。

---2015/09/13 追記---
私は、有権者が投票に行かないというのは、その選挙に時間を割いて投票に行くだけの価値を見ていないという意思の表明だと思いますよ。何かを変えるとかではなく。
それは馬鹿の言うことだと言うのであれば、義務投票制にすべきだとでも主張なさればどうですか。他国の議会選挙投票率を見ても、単に投票率が高ければいいとも思えませんが。

投票に行く行かないも、デモに行く行かないも自由ならば、投票率が上がらなければ意味がないと言ってデモを批判するのはおかしいです。

---2015/09/13 追記---
こひもともひこさんは、ご自分の主張と、私が言っていることの区別もつかないようですね。
「政治を変化させる力があるのは、個人による投票行為または立候補」と主張されているのは、こひもともひこさんであって、私ではない。

私は、違憲と指摘される法案を通したいなら、まず憲法改正の手続きを取るべきだと思っています。それをせず、また近く国政選挙がない今、国民が意思を表明するために行っているデモを、投票率が上がらなければ意味がないと言って批判するのはおかしいと言っているのですよ。
市長選の投票に行く行かないも、デモに行く行かないも、個人が判断すればよいことでしょう。

言い返せなくて自暴自棄になってるのはこひもともひこさんでしょう。支離滅裂です。

---2015/09/14 追記---
やれやれ(苦笑)。

投票の機会が確保されるべきだという話と、投票の機会に有権者がどうするかということは別問題です。

別問題をごちゃ混ぜにした返しをしてくるから、支離滅裂だと言っているのです。


 
作者より:
ポイントおおきに!

無月野 青馬さん:コメントありがとう。
デモの善し悪しは問うていませんよ。
ただし、8月30日に大規模なデモをしたその当日に大阪府枚方市では市長選挙があったわけですが、その投票率が40%に満たないことを問題視しないことには疑問を抱きます。

アラガイさん:コメントありがとう。
橋下さんのやってる説明会にでも行ってみれば? 
何も知らないくせに「独裁、反対!」とか言ってるのは、ひたすらかっこ悪いよ。

たけしさん:コメントありがとう。
間接民主主義とか、意味がわかりません。
多くの民衆がその気にさえなれば、選挙で落とせますよ、今の選挙方法なら。そういうことを見たことがないだけじゃないのでしょうか?

その個の意識が選挙に行くことじゃないの?
マルクスとか知らんがな。


無月野 青馬さん:了解です。

とよよんさん:コメントありがとう。
ははは、ハンバーグはおもしろいね。書いてるときにはまったく意識はしてなかったんだけど、行数が同じくらいになってることに驚きました。
候補者として立つことの理由は、人それぞれじゃないでしょうか。

---2015/09/08 05:06追記---


眠り羊さん:コメントありがとう。
うーん・・・持論を展開するために書いてないことを持ち出して反論されてもねえ・・・

 >投票こそが民主主義――であるならば。

なんて、私はどこにも書いてませんやん。

 ・ウィキペディアより:デモクラシー(民主主義・民主制・民主政)とは、諸個人の意思の集合をもって物事を決める意思決定の原則・政治体制

ですので、国民(その地域に住んでいる投票権のある者たち)が投票行為をした結果、多数の票を集められた人が代表者となる。このことが覆ったり、投票権のある者たちがその権利を奪われるとしたら、それは民主主義ではなくなります。で、そうやって投票権のある者たちに選ばれた代表者が、さまざまな決め事を作る。この、決め事に関係したいのであれば、「候補者として立」てばいい。

でね、「一票の格差是正」だとか、知ったようなこと言ってる暇があるんならね、デモの当日にあった選挙で40%の投票率しかなかったことはどういうことか? を考えたほうが建設的なんですよ。60%の投票者は、投票する権利を放棄したわけなんですよ。これを見て、一票の格差問題がどうのと言ってることの馬鹿らしさを感じませんか?

あとね、いちいち国民投票をして決め事を決める作業をするのであれば、そもそも代表者を選ぶ選挙なんて必要なくなります。まあ、それはそれで考え方としてはありですけどね。

---2015/09/09 04:43追記---

 >何度も読んで、デモは民主主義的に意味のない祭であり、政治を変えるのは投票のみと強く訴える作品と解釈し、「・民主主義」と項目を立てていることから、投票こそが民主主義という趣旨と解したのですが、違うということですね。

解釈はお好きにどうぞ。思い込みの激しい方のようで。

 >ただ、私には、こひもともひこさんがどうして投票率に強くこだわられるのかがいまひとつわかりません。やはり、自分の一票に意味があると思えなければ、投票に行く意欲も減退すると思うので。

こういうことを言ってるうちは、私の言わんとしていることの理解はできません。投票率が変わらなければ、候補者に対するプレッシャーは変わりません。
安倍首相は今回、無投票で再選しましたよね。デモが盛り上がってプレッシャーをかけられているのであれば、なぜ14年ぶりの無投票再選なんてするのでしょうね。

 >また、いただいたコメントを見ても思うのは、民主主義は、多数票を得さえすれば、何をしてもいいというわけではないはずだということです。

「何をしてもいい」なんて、どこにも書いてないんですけどね。

 >違憲だと指摘される法案なら、法案の前に、まず憲法を改正するのが筋です。憲法改正には国民投票が必要。憲法改正のための国民投票と代表民主制は対立するものではありません。それだけ重要なことだから、国民の意思を問うということでしょう。
 
だから、それを変化させる力があるのが、個人による投票行為または立候補だといってるだけですよ。

---2015/09/11 17:59追記---

うーん・・まいっちんぐだなあ・・・
そんなに難しいことは書いてないんですけどね。何度も同じことを書かせないでください。ほんとに何度も読まれたんですか?

 >えーと、それでは、この作品でこひもともひこさんが最も言いたかったことは、政治を変化させる力があるのは、個人による投票行為または立候補だと、そういうことですか?

そんなの、あたりまえでしょうに。
でね、眠り羊さんが脳内変換している勝手な解釈を説明してあげるとね、

・祭りみたいなデモをしてうっぷんを晴らしたところで、投票率が上がらないのならまったく意味などない。
 →デモをしても意味がない。
 →デモなんてするな。

となってるんですよ。ちなみに、これを別のフィルターにかけると、

・祭りみたいなデモをしてうっぷんを晴らしたところで、投票率が上がらないのならまったく意味などない。
 →デモをしても、その人物が選挙に行かない、したがって投票率が上がらないのなら意味がない。

 または
 →デモをしても、デモを見て応援してくれた人たちが選挙に行かず、投票率が上がらないのなら意味がない。

になります。
でも私は、「解釈はお好きにどうぞ。」とも書いてるように、お好きにどうぞ。

 >次の選挙までは何も方法がないということになりませんか?

そうですよ、だから作中にも、

・つぎの機会は祭りが終わった後にすぐにくるわけではない。ひたすら淡々と、物事の仕組みを考える知恵をつけなければならない。

って書いてるじゃないですか。で、その選挙の一つがデモ当日に大阪府枚方市であったのですが、その投票率はいつもと変わりなかった。国政選挙と市長選挙とが全く違うとでも思っているのですか? 

「ナンセンスだと思います。」というのは、

 >安倍首相が無投票で再選したのは、対立候補の推薦人の数が集まらないようにしたからでしょう。無投票再選の理由を、デモがプレッシャーにはなっていないから、とするのは無理です。むしろ、余裕がないということでしょう。

こういう勝手な脳内変換をしちゃう人に対して使います。
これまでの総裁選挙で対抗馬がでず、無投票で総理再選が決まるときは、自民党が磐石なときなんですよ。そういうことを「学ぼうとしないままに、祭りで熱く、祭りで楽しくなるな。~ひたすら淡々と、物事の仕組みを考える知恵をつけなければならない。」

---2015/09/12 18:46追記---

ははははは! 言い訳できなくなったら「投票に行かないということも、有権者の意思表示」とか書き始めちゃったんだ。どうぞご自由に。それで何かが変わるんだ。投票しない権利を実行して何が変わるのやら、馬鹿の考えることはわからん。

---2015/09/13 20:37追記---

はあ、しんど。馬鹿の相手はこれで最後ね。

 >国民投票を行った上で、審議すべき
 >政治を変えるのは投票のみと強く訴える作品と解釈し
 >国民の意思を問う
 >政治を変化させる力があるのは、個人による投票行為または立候補

ってね、これを書いたのはあなた。で、私はこれらのことに対して、作中に書いたことでも、コメントへの返信でも答えています。
ところが、これを書いたあなたが、

 >投票に行かないということも、有権者の意思表示の一つ
 >何かを変えるとかではなく。

とかって書いちゃう。で、恥ずかしげもなく、

 >義務投票制にすべきだとでも主張なさればどうですか。

とか書いちゃう。馬鹿すぎてもうね・・・
仮にあなたのいう「義務投票制」とやらを採用するとして、それを掲げて自分で立候補することも、「義務投票制」とやらを主張する候補者に投票もせずに、どうやって実行するのでしょうか? 
なんや、言い返せないやりとりになったから自暴自棄になってるのは理解するけどね、自分の書いてる文章の意味くらい考えてみれば? 
これだけ親切丁寧に解説したわたしに、ちょっとは感謝してね。じゃー!

---2015/09/14 08:58追記---

眠り羊さんへ:しつこいよ。困ったちゃんの特徴ではあるけどね。

・支離滅裂:物事に一貫性がなく、ばらばらで、まとまりのないこと。また、そのさま。

私の主張していることは一貫して、デモをしても投票行為をしなければ意味(実効性)がない。
投票か立候補という行為をしないと、政治を変える力にはならない。
ということです。

あなたの書いた、自分で自分の文章を理解してないもの。

 >憲法改正の手続きを踏んで国民投票を行った上で、審議すべきです。

なのに、

 >投票に行かないということも、有権者の意思表示の一つでしょう。

とか書いちゃう。
あなたが「すべき」だと主張する国民投票なら投票するけど、国政選挙は投票しないということも意思表示になると、へー、素敵な思想をおもちのようで。で、こういうのを支離滅裂といいます。
---2015/09/14 22:42追記---

よかったね、もっとがんばれ!

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