一方井亜稀詩集『疾走光』について/葉leaf
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- アラガイs 
拝見いたしました。
彼女の眼に写るもの、つまり視覚がそれ自体を透過させて主体は内面に及んでいる。同時に、あなたがおっしゃるように写し出された表象の根幹に、あくまでも彼女自身の過去(歴史性)が潜んでいることには違いないでしょう。

「夏の光」
写し出される物を、まるで可視化された等値線の図面のように空間は積み重ねて表現されている。対比された(…テレビの中から あるいは水槽の中から眺める部屋もまた水槽である…)とはどういう意味だろう。補うように(遠くを見たがる両の目も、捲る本の文字も……みんなみんな白いページに……光だった)と振り返るように叙述は続けられる。
これなどは漠としたもの、見えているようで見えていないもの、言い換えれば、見ていながら、敢えて見ようとはしなかったもののように受けとれる。つまり光なら可視化されない紫外線や赤外線を、過去の記憶の透写に導くように、内面の描写が対比されて表現されていると言えるのではないでしょうか。
瞬間の感覚を鋭角な描写で内面に補うことのできる詩質を備えた方だと思われます。



 
作者より:
初出阿吽9号
http://blogs.yahoo.co.jp/shty2jpjp/32950849.html

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