岸田劉生「写実論」を読み解いて考える、批評とは何か/中川達矢
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- N.K. 
岸田劉生の写実論は、いつ書かれたものでしょうか?大正時代に
書かれたものであれば、明治時代に漱石において問題になる近代
的自我と自然の問題や浪漫派などに見られる自然と人間の一体感
の微妙な(?)バランスの上に立っているのが、岸田劉生の「心」
のように思えます。
 いつもながら、批評について、大変勉強になります。
 岸田劉生というと、麗子像が思い浮かびますが、自分に思い浮
ぶのは、カレンダーにあったコピーの麗子像だったりします。
 文章の中でも触れられていましたが、コピーは「魂が抜かれ
た(?)」ものという判断のみを強調する事はできないような気
がします。こう言ってよければ、複製技術時代は、比較的新しい
事態だとも思うのですが、儀式とは別に美があっても良いような
気はしますし、(もちろん、儀式と共に美があってもいいのです
が)絵画の写実主義もA.ワイエスなどを経て、スーパーリアリ
ズム(だったか)に至る展開があったり、「現実感(!)」を出
すために一度写真に撮ったものを見て、それを描いたりする手法
の画家が出てきたり、(日曜美術館か何かで少し前に特集してま
した)して、より複雑な展開を見せていたりすると思います。
 岸田劉生はこのような「心」を巡る事態をどう思うでしょうか
?(自分としては、どう面白がるのだろうか?と思っています。)
 コメントが脱線ばかりでごめんなさい。

---2013/08/05 18:32追記---
- ……とある蛙 
久しぶりに面白かった。
 しかし、あくまで個人的な見解ですが、事実と真実の間の問題を深化させると良いレポートになるかも知れ無いと考えました。
 真実が美であるのであれば、事実はあくまで事実であって、認識を経て想像することによって初めて真実(美)となる。
 そのままにコピーできそうな写真すら撮影する側の認識を通して、さらには一定のアングル、瞬間を経て、初めて真実に肉薄できるからです。
 逆を言えば、最初の問題の提起の仕方が釈然としないですが(笑)
- るるりら 
わたしは、写実的絵画と そうでない絵画を比べると、写実的絵画を好むタイプです。だから、しょっぱなから立場が違うかもしれないなと おもいながら読ませていただきました。
わたしの祖父は絵を描く人でした。足が悪い祖父は
外にでることができないので、モノクロの写真をみながら色彩ゆたかな絵として興すという手法で描いていました。
何か月も一枚の写真を見ながら描いている様子を見て感じていたことは、写真は真実ではないという印象です。光の加減で 実像とはちがう像を結ぶことが多々ある。祖父の場合は
実像とは言えないモノクロ写真゛から なにかをうけとり 生を織り込んで絵として昇華する作業をしているかのように私には見えました。「植物水を吸い上げる様子を思いながら描いているんだよ」とも 言っていたからです。

そのような私なので、この文章のしょっぱなでは折れそうになりましたが、そして
批評を書くとことより詩を書くこと自体への興味がある私なのですが、読ませていただけて よかったことがあります。

劉生の批評が、芸術とはこうあるべきだ、と主張している点に 注目させていただけた点です。「内なる美」「心の問題」について、自身に問うていこうと思わせていただけました。

内なる美を持っている人が 良き批評家で よき芸術家なのかもしれません。
けれど、私は 思うのですが、いきとし生けるものは すべて内なる美をもっているとおもうのです。 人も 美を それぞれの中にもっていると信じます。だから わたしは 自身の内なる美をさがしてゆこうと 思いました。良い触発を得ました。ありがとうございます。

- nao 
 
作者より:
皆様のコメントを見て、まず、書いてよかったと思えること、感謝を申し上げます。

まとめてコメント返しする形になりますが、
問題提起、写実についての考えが皆様と違うみたいです…。
いや、今となってはある程度解消できたのですが、
正直、僕は写実的絵画より、シュールレアリスムやキュビズムが大好きで、
あの意味のわからなさが好きなのです。
これも若気の至りでしょうか。

ただ、詩もそうですが、
多種多様な作品に対して、批評できる目や耳を持つことは素晴らしいことであると思っており、
あれが好き、これが好き、ではなく、
あれのよさはこう、これのよさはこう、と様々な批評の言葉を持つことを普段から意識しています。

写実の問題は、詩にも言えることであると思います。
詩にも現実をうつしとる側面があれば、虚構を描く側面もある。
作品となれば、その両者は一体となり、その区別は関係ないのかもしれないですが、
少なくとも、ここにいる私たちは鑑賞者としてではなく、
創作者としても作品に関わっており、
現実とどう付き合うか、
そして、それをどのように作品に反映させていくか、という問題は、
創作者に付き物であると言えるのではないでしょうか。

これで終わりにせず、写実の問題についてはいろいろと考えていきたいです。

N.K.さんの問いにお応えするならば、
写実論は大正時代前後に書かれたものです。
(ちゃんと調べればわかることですが、手元に資料がないので…、すいません)


改めて、
皆様からコメントを頂けたことに感謝いたします。

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