【HHM参加作品】端麗に折りたたまれた見事な生活/るるりら
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 石田とわ 
- こひもともひこ 
- あおば 
- 芦沢 恵 
- 泡沫恋歌 
- 梅昆布茶 
- 澤あづさ 
詩はこのように、ありがたいごちそうをいただくように嚙み締めて吸収するのが、一番いい味わい方なんだと思います。
わたしはこじつけの解釈で詩を弄んでしまいがちなので、この批評に感動しました。
没頭した情景を実体験のように仔細に描写した、批評の文章そのものが美しく、
「だからこそ わたしには この詩は 必要な詩だったのだ」
ということばに胸を打たれます。わたしもこのように詩を堪能できる人間になりたいと思います。

ただ、一箇所だけ指摘したい部分があります。

>【さわやかなミントの風を涼やかに目元に蓄え、定めた先に水色のまなざしを向けている。】
>この詩がネット上に投稿されたのは昨年の四月の終わり頃だった。あの頃 私の庭にも
>ミントは すがしく葉を広げていて、とても良い収穫時期だった。わたしは幸運なことに、作者が 言おうとしている水色の「まなざしというものを体感できる立場にいたのだ。

この段落で引用されている【定めた先に水色のまなざしを向けている。】は、改訂版『家族の生活』のもので、対象作品『生活』のものではありません。
正しくは、以下のとおりです。

*『生活』→【さわやかなミントの風を涼やかに目元に蓄えやはり端麗なまなざしを向けている、】
*『家族の生活』→【風は涼やかに目元にただよい、定めた先に水色のまなざしを向けている。】

わたしはこの批評を読んでこの詩を好きになったので、引用に間違いがあるのは不満ですし、すばらしい批評の玉に瑕があるのも遺憾です。
この引用間違いだけは、なんらかのかたちで修正していただきたいと思います。
- 深水遊脚 
 対象作品への思い入れの深さが心地よい文章です。批評本文を書いた人のバックグラウンドが伝わる詩評は、それを読む者に、対象の詩と批評本文の両方に無理なく接することを可能にする、ありがたいものです。
 「端麗に折りたたまれた」の部分は、きっと厳格な習慣と表裏一体です。有無を言わさず従っていた様々な約束事と、ハメを外す為の祭りと、そうしたものに囲まれたうえで、寄り添って暮らす一人ひとりの思いと仲間への気づかいがあるのでしょう。対象の詩には、あまり根拠はないのですが、人との繋がりが希薄な都市生活者が抱える問題や悩みが投影されている気がします。
 もっともいまの農村では、村の掟やお祭りは、昔からの寄り合いを辛うじて繋ぎとめるものであり、農作業や牧畜以外に村の生活に入り込むものが多いです。会社勤めをしている人もいるかもしれないし、大型のスーパーやホームセンターで必要な道具や畑で作らない野菜、薬なども手に入ります。都会ほどではないにしても新聞、雑誌、本、あるいは着る服なども普通に手に入り、それでも満たされない人はネット通販でいろいろ買えたりします。厳格な習慣の根拠だった神様や仏様、みえざる者への畏怖が、この環境で維持されるかどうか心もとない状況です。そんな状況だから抱えている問題や悩みも都市生活者のそれに近く、昔ながらの端麗な生活への憧れが心を捉えるのかもしれません。
 昔からのお祭りや、ずっと受け継がれている神様は私の身近にもあります。もう少し若かったらそれらに対する感受性も鈍いものだったかもしれません。私にとってもこの詩は大切なものとなりそうです。

 もう一点、ネットで発表される作品の揺れ動きについて書きます。発表した詩が、寄せられたコメントを経て変わってゆき、その結果いくつかの異なるバージョンがネットに発表された場合、発表されたすべてのバージョンについて、それを愛読する読者が存在することを、作者は心に留めておいたほうが良いです。今回のこの批評は、まさしくその実例でしょう。
 
作者より:
澤あづさ様 ご指摘 ありがとうございました。
実は わたしがくりかえし読んだ作品は、「文学極道」というサイトに書いておられたものを私の手によって ペーパーにプリントアウトをしてくりかえし読みました。わたしが繰り返し読んだものには 指摘の箇所が入っていたものを読んでいました。


しかし わたしは、「さわやかなミントの風を涼やかに目元に蓄え、定めた先に水色のまなざしを向けている。」という文ではない詩を、ここに掲載してしまいました。 
文学極道さんのレスに「以下は改定前のものです」としてご本人が書いておられましたものを あわせて 掲載させていただきます。こちらには その詩文がございました。


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端麗に折りたたまれた見事な生活をそれぞれが晒している。
さわやかなミントの風を涼やかに目元に蓄え、定めた先に水色のまなざしを向けている。
生あたたかい温度にはしっかり蓋をして、静かに四隅を整えて桐の引き出しにしまい込む。
出来ないことには静かに首を振り、できることを楚々と繰り返し、その時々を咀嚼する。
遠くの山から湧き出た一本の清水で丹念に水みちをつくり、日ごと゛、適量の汗をかき、ふくよかに笑い、
小首を少し傾けて悩み、夢食い虫にならず、体内を巡る数億の血の道を日々めぐらせるための質素な食事を行い、麓に放牧された幾千の羊を数え眠りに着く。
よろこびを一つづつ紙に書き、ひとつひとつの物事を細やかに語り、それぞれがそれぞれに、指の湿度を感じながら念じられた物質の種をまく。ささやきのような、小葉を揺らす言葉が高層湿原のように数千の夜を超え、確かな物質となる。生まれた物質を皆で祝い、祝福の言葉を押し並べる。その言葉は餌となり、無味な味わいをしていたとしても、発し続けることで、言葉は物質をさらに成長させてゆく。
小さな物質を皆々が自愛の目で崇め拍手する、それは素直な心を広げることであり、自らの解放である。開放された物質は心を持ち、恩返しに来る。小冊子の中に静かに活字として埋め込まれ、不思議な薬効を発揮し始める。それらの人々は飾ることのない、いちいち些細で凡庸な事柄ですらも優しく捉え、美しく議論する。そしてそこからさらに小さくも形を持つ物質がいつも誕生し続けるのである。
まとわりつく陰湿な襞を伸ばし、それについても口を尖らせたり、なだめたりしながら動物の家族のように舐めあう。やがて物質は彼らを覆うように存在し、一種オーラのようにあらゆるものを守り始める、天空の怒りや突然の粛清、そういうものですら屈しない物質を手に入れるのだ。それは一心不乱に農民が作物を作るときに唱える豊年の祈り歌のようでもあり、しかし、それは実につまらない変哲などうでも良い日常会話から生まれる分子でもある。 ('12/05/25 07:22:22)

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