日々の聖句(1)/生田 稔
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- N.K. 
 つい先日のクリスマスは、主イエスの生誕と同時にまるで終末の時の救いを祈るようなもののように自分は迎えたような気がします。
 終末ばかりを人が強調するのも人間の側に「永遠」を引きずり落としているように思えますが、終末という視点がなければ、「時」における恵みが分からなくなってしまうようにも思えました。
 聖句を示していただきまして、考えるきっかけになり、大きな示唆を受けたように思います。大変勉強になりました。(このコメントを書いている者はプロテスタントの洗礼を受けた者であることを一言ことわっておきます。)
- 中川達矢 
僕は教会に通っている身で、ぜひ続きも読みたいと思いました。
一つ気になったのは、
>大艱難
の歌で、「イエス言う」と「マタイの予言」が被っているのでは、と思いました。
予言は予言ではなく、預言であり、福音書の役割は預言ではなく、イエスの業の福音であるから、その聖句は「イエス言う」はわかるのですが、「マタイの予言」ということが気にかかります。
旧約聖書は、まだ訪れていない出来事の預言を記した書がありますが、新約聖書は、訪れた出来事を伝える役割があり、その意味合いが変わるような気がします。
キリスト教のことをそんなに勉強しているわけではないので、ただの僕の勘違いかもしれません。
ただ、シリーズものとしてぜひ読んでいきたいです。
 
作者より:
孤蓬 近づく、陽と月と星という風に、ご指摘の前に訂正しております。
文法の点は個性にかかわることゆえ、なぜかこのままにしておきたいと存じます。
いつもながらあなたの熱心なる正しい古語を保護せんとする御意志を尊敬いたしたいと思いました。

---2012/01/10 10:34追記---
N.K.様キリスト教は多岐にわたり宗派に分かれています、
聖書を基準とする以外決め手はないように思います。
プロテスタントの教会におかよいとか、どうかあなた
の信仰の祈りに。神がこたえてくださいますように。
(中川)様どうもコメントありがとうございます。
マタイ予言うとの部分にお気づきとの事、たしかにマタイ書に言う
と訂正すべきですね。どうも申し訳ありません。でも歌ですのでその点
ご勘考のほどおねがいします。
---2012/01/10 10:50追記---

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