詩の批評と題する散文批判/……とある蛙
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- プランタン 
細かいですが、「マルラメ」でなく「マラルメ」ではないです?
- 吉岡ペペロ 
- 北村 守通 
- るるりら 
- 森の猫 
- beebee 
自分も色々考えることがあります。
ただ、何をおいても話しかけ無い限り想いは伝わらない。書き出す勇気をお互いが認め合うことからスタートさせたいとおもいます。
また、コロンと転がした言葉に人に伝わる熱と力をつけたいといつも考えています。同時に他の人の想いもキチンと汲み取れる共感性を持ちたいと思います。
これが色々な人の想いを巻き込んで新しい流れができる契機になることを期待します。^^)l
- 鵜飼千代子 
傾聴に値すると思います。(ちょっとかっこつけました)
--コメント更新ログから 来ました。

ざらっと、今、思いつくことを全て書き出して問題提起をされたと読みました。
この一文の中で前半と後半を対峙させると相殺してしまうような気もするのですが
相殺してしまうから、現状の詩は盛り上がらないのかもしれません。

「詩は多様である」

ということをお護りにして、自分の詩作に引き寄せた論を聞かせていただく機会は
大切だと思います。

本論にもある通り、
詩は
「みんな違ってみんないい」
から、選をするのも同じ詩友の中で選ぶなどと烏滸がましい、、、というような
あるけどありえない、時代を反映した詩人の気持ちも読みました。

そこを強く押すと、綺麗ごとの上がすりのお話ばかりで、本音が聞けなくなって
しまうんですね。

「詩は多様である」

ので、我田引水理論であるなら、「そういうお話なら、きざらしに雪駄でひとり書いていきます」と
あっさり離脱するのも詩人でありましょう。
そういう人は、詩集を出している詩人でも沢山います。

現代詩フォーラムのIDの若い番号を辿っていただきますと、
清水鱗造さんや清水哲男さん、鈴木志郎康さんなどの名前も確認していただけますが、
詩の団体に属していない詩人です。



この論は、一文として突き詰めて隙のない論文にするのではなく、
文節ごとにその道に精通している人に尋ねたり、あちこちから検討してみる
ものだと思います。

夫々の詩を書く方がそうしてきて、現状がこの通りなのでしょうし、
「行き詰まり」も「現代詩は死んだ」も、何十年も続いているのでしょう?

もしも、蛙さんとフォーラムでのやり取りだとか面識が無くて、
「この文章をどう思いますか?」と尋ねられたら
「随分太いワラシベですね」とにやっとお返事するでしょう。
わらしべ長者とかけてね。

蛙さんとコメしあっているから、この前のオフのような機会があれば
卓袱台ひっくり返しておまけに蹴りあげて、結論無し のような
その時に思ったことだけ、お酒で頭がついてゆかず、話しそびれたこと沢山
みたいな!

詩の現状は、どこか沈まない船があって、それに乗れば生き延びられるというのが
今無いんです。

「100年後」



個人情報保護法も詩人にとって煩わしい取り決めだと思いますが、
ネットが絡んでくると、そうばかりは言っていられませんね。

著作権についても、詩人は歌謡に対して、元来優越であったため、
搾取について寛容であったのですが、
日本が他国に対して、特許の意識が低く苦渋をなめることになった過去があるように
「権利」については、特にネットに表出している詩はフリーのボキャブラリーソースと
捉えられると救いがないのですが、紙で殆ど知られないまま無かったことにされるの
よりはネットで沢山の人が読んでくれていた方が救いがあると思います。

夜は、人通りの無いところを通るな

です。



「動く歩道」は、色々なお免状同様、金次第だという現状は確認したので、
それとは 離れて、本論で語られているような 日本の詩の問題にひとつひとつ
向き合って行きたいと思います。

こういうことは、ずっとそれに対して取り組んでいても、自分に対する風当たりを
心配して、年をとるとなかなか書けなくなります。
ので、
書くような、同じ考えを持つ若手を「スケープゴード」にするところがあります。

私も、まだまだ若手なので、御合判を。

だけどね、
「自分はもう死ぬから」
私をスケープゴードにせずに、ドンキホーテになったソウルメイトもいるよ。
パンチョ間に合わず、かな。



ここまでわかっているのだから
黙られるのは、損だから、先様のお話を聞いて打診したいなって思います。

蛙さん、ライフワークとして、腹をすえてじっくりいきませんか。
なにか、わたしは蛙さんの出現に勇気をいただいています。^^



---2011/05/15 22:28追記---

サンチョでした。ごめんなさい。
---2011/05/16 09:35追記---
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- 深水遊脚
この散文は多様性を許容していますか?
- 雛鳥むく
筆者が詩に関して何の知識もなく、詩というものをまともに考えてすらいないことがよくわかる散文だなあと思いました。なにが悲劇かって、この散文にポイントが入っていることが一番の悲劇でしょうね。
- 非在の虹
「隠喩中心の詩」が多いというなら、まことに忌むべき事だ。僕の作品事態が「隠喩」と誤解されることがあり、「象徴」ととられる事もある。
「※隠喩中心の詩はもう卒業すべきではないだろうか と思います。」
においてのみ同感だ。
 
作者より:
※入沢康夫さんの三部作「詩の構造に関する覚書」「詩的関係についての覚書」「詩の逆説」なんかを読み返して、さらに最近?の「詩にかかわる」を読んで、まぁ曖昧な自分の考えをまとめてみました。以前書いたことと重複するかも知れませんが、5月7日の合評会の基本的スタンスとしてまとめてみました。
---2011/05/16 11:46追記---
 まぁとりあえずと言うことで書いたこともありますが、誤字脱字の類が多い点反省しています。
 考え方については、当然異論もあってしかるべきで、自分の見解も定まっていない部分がかなりあります。修辞学を参考にというのは考え方の筋道を書いただけで、普通は意識しないで皆さん順番に考えているはずです(考えていない人がいるとすれば、まさに直感だけで好き嫌いを決めていると言うことになります)。
 コメントをして下さった方ありがとうございます。コメントに関してどんな考えであるか全く不明な方もいらっしゃるので、一律コメントに対する返答は致しません。
では、。




---2011/05/16 12:54追記---

訂正履歴:
ご指摘訂正11-5-6 13:30

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