【批評祭参加作品】自分の「批評」について/番田 
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 山人 
- 砂木 
すべてはやりつくされていたとしても
誰も やりとげていない
のるかそるか
打破し破戒する意志に宿る芸と術に燃え添うのが詩
なんちゃって
- プル式 
- るるりら 
はい。おっしゃるとおりです。すべてのことは やりつくされております。どんな素晴らしい文芸も すべて過去の産物です。そんな中、呼吸しながら たしかめられるのは 今 自身と伴に立っている言葉のみです。番田さんの 言葉は 立っている。私は、そう 思いました。
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- ミッチェル秋山
全てはやりつくされているのだ。>

そういう側面はあると思います。それは小説でも
音楽でも映画でも一緒だと思います。やりつくされていても、全くの盗作でない限り、一つとして同じ作品はないし作者の色をだせば良いのではないかと個人的には、考えています。


 
作者より:
山人さん、秋山さんありがとう。
ミッチェル秋山さんの言うように、作品の全ては作者自身の個性の表出にかかってきます。
しかしそれは音楽や絵画などで考えればの話です。
詩や文学の中でどのように個性を主張するべきかを考えたとき、
人と全く同じ顔をした言葉を使って、個性など主張できるのか?という、
疑問の方が先行してくるわけです。
色々な芸術ーー特に文学の中では、今後目新しい発展はないと思います。
それよりも、もっとセンシティブな分野である絵画などの中の方が、今後開拓すべき土地は、
この世の中にはまだまだあるような気がしてならないのです。


戻る Home
コメント更新ログ