死について   mixi日記より/前田ふむふむ
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- アラガイs 
- るるりら 
わたし自身が経験した 身近な人の死について ひとつひとつ 
思い出し 様々なことをおもわせていただきました。
ふと年齢が若いと自然と 見取りたがる者は増えますが、
人に看取られることを目的に生きることは、それは早死にを志望
しているのと同意ではないかとふと 読ませていただいて
思いました。。
生まれたときみたいに 死に かならず看取ることを 
すべきと偉い人は言ったようですが、死は 無に向かうのですから おっしゃるとおり どうあがいても ひとりです。
人は無に帰るのなら温かい場所に帰ることを望むし
時に無のほうが いまある生より温かいものに感じることすら人なは あるようですが、まずは よりよく生きたいものです。
生こそが ひとりでは ありえないことだと おもわせていただました。


- ふるる 
「親の最後のつとめは、死にゆく姿を子に見せることだ」という言葉を思い出しました。誰かを看取るのは、生きているものにとってこそ必要なのだと思います。
- 真山義一郎 
 
作者より:
寝太郎さん読んで下さり、ありがとうございます。 
雨宮 葉一 さん読んで下さり、ありがとうございます。 
>死に逝くものにとっては、恐怖と孤独とかなしみ以外何があるだろう、

この部分は、詩人の上手 宰氏にも、指摘されました。
まあ、この場合の考えは、私の個人的な主観です。
上手氏は、「死に逝くときは、そうでなくありたい」といっておりました。
その考えも、もっともだと思います。
ですので、雨宮さんの相違も、よく、分かります。




るるりらさん、読んで下さり、ありがとうございます。 
>生こそが ひとりでは ありえないことだと おもわせていただました。

私の駄文で、そのように感じて頂き、嬉しくおもいます。

ふるるさん、読んで下さり、ありがとうございます。
私も、生きている者にとって、とても大切な問題であると思います。 

奥主 榮さん、読んで下さり、ありがとうございます。 



---2010/09/18 18:10追記---

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