雲のころ。。。 / 株式会社歌仙興行吟行/鵜飼千代子
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 深水遊脚 
- salco 
密度が濃いです。
- m.qyi 
 
作者より:
俳句をやってみたくて、俳人の多い掲示板に出かけた時に詠んだ句です。

「雲のころ。。。」は、季語と格闘しながら実景を詠んでいるものが
多いのですが、ファンタジーになってしまっている(?)ふわふわして
いて、地に足が着いていないというような評をいただきました。
定型に文字数をなるべく合せたいことと、耳ざわりを気にして詠ん
でいるので、文語表現も不安があります。

「株式会社歌仙興行吟行」は、ネット句会(?)の連座名で実在する
会社ではないのですが、その連座で書いた句です。「歌仙」や「百韻」
について、今もあまりよくわかっていないのですが、こうした部分取り
出しに意味があるのかどうかもわからないのですが、俳句がわかる
方がいたら見ていただきたいなと思い投稿します。

自由百韻「ベロニカ」は、「575」「77」と交互に詠んで100句繋げる
とのことだったのですが、008、038は「77」の方です。

---2010/04/18 10:47追記---
ポイントいただきありがとうございます。



孤蓬さん、お呼び立てしてしまって申し訳ありません。^^
他の方の勉強にもなるので、わたしに付けていただいたご教示につきましては、
削除せず、そのまま残していただければと思います。<(_ _)>

>雲の川街道並木に落つ銀杏

「落つ」でもなにか落ち着かないのですが、「落つる」「落ちる」だと、「雲の川」以外
何もなくてなにか、書かなくても良かった句のように思えてしまうので、他の部分も
含め、もう一度時間をかけて考えてみたいと思います。
(---2010/04/18 12:53追記--- 考えてみたのですが、どうにもならないですね。
何か「落つ」としたことで、俳句になったような気分になっていたのですが、中身が
つまらな過ぎるので、この句は諦めます。「雲の川」については、奥主さんとの交錯
詩「朝」で、「たなびき」として使えたので、その発見が出来た記念くらいに考えたい
と思います。ありがとうございます。)

>悠久のしじま砕きし今生す

区切りは「悠久の しじま砕きし 今生す」のようになるのですが、思いついたので当時
書いてしまって、自分でも何を言っているのかぼんやりとしているので、何が言いた
いのか身に付ければ、ここから100句くらい書けるかな?という気がしています。「今
生」は「こんじょう」の読みで書きました。そう考えると、「今生す」の「す」もおかしいで
しょうか。

>背に栄やし身に沁む葛葉捧げ見ゆ

この句は、「もじゃもじゃ生えている」ということを「栄やし」と表現しました。実景ではな
く、印象なのですが「わたしって、背中にツル系の草をもじゃもじゃに生やしているよう
だなぁ。」とベールように垂れ下がっている、葛葉としましたが、ツル系のもじゃもじゃ
した草を目の前に手繰ってきて眺めている様子を書きました。「575の俳句のかたち
で書いているがこれは現代詩です」なのかもしれません。俳句の世界で、こうした書き
たいことを、こういう表現で書いて認められるのかどうかもわかりません。

>季語溢れしも念いは空に吸い取られ

この句は、「溢るるも(=溢れるのだが)」がわたしの気持ちとしてもぴったりです。
さっそく修正します。ありがとうございます。

>なずな見上げし夢馳せる空

はい。ありんこの大きさで、なずなを前景に空を見ている気持ちです。こちらも「見上ぐる
夢馳せる空(=見上げる夢馳せる空)」が、気持ちにもぴったりで、言葉も美しいので修
正いたします。ありがとうございます。



わたしは、他の言語にはとんと疎くて、チンプンカンプンなのですが、日本人として、日
本語は、若者ことばから文語表現まで自在に使えるようになりたいなと思っています。歴
史的仮名遣いは読むことは出来るのですが、書くこととなると身に付くまではまだまだ長
い道のりです。

筧槇二さんという昭和一桁生まれの詩人が、旧仮名遣いに徹底していらしていたのです
が(小学校の先生だった時のプリント等と一般向け文書を除く。高校の先生だったときに
は、全てのプリントが旧仮名遣いだったそう)、日本人の機微に富んだ心情は旧仮名遣い
でなければ表現出来ない、新仮名遣いでは言葉が日本人の心を殺すというようなことを
常々仰っていました。送り仮名の「送り過ぎ」についても、苦々しく仰っていました。

とても面倒見のいい方でとてもお世話になったのですが、わたしも、言葉を使うものとして、
少しずつ獲得して行きたいなと思っているので、孤蓬さんには、今後ともご教示いただけた
らと思います。よろしくお願い致します。

---2010/04/18 18:05追記---
>「今生す」の「す」もおかしいでしょうか。
>「今生す」という言葉は聞いたことがありません。
>「今生」とは、「自分が今生きているこの世」を意味する名詞です。
>それに補助動詞「す」を接続して動詞化するということは、何らかの動作を表現しているのでしょうが、
>「今生す」という造語が一体いかなる動作を意味しているのかよく解りません。現代口語に訳してみると
>「この世する」とでもなるのでしょうか? やっぱり、意味が通りません。

>悠久のしじま砕きし今生す

思い付きで書いたので、後付けの理由になってしまうのですが、
「悠久のしじまを砕いたので 今、生きているよ」ということを詠みたいのであれば、

悠久の しじま砕きし 今生きる(いまいきる)

でもいいでしょうか。

>この句は、「もじゃもじゃ生えている」ということを「栄やし」と表現しました。
>「生やす」「栄やす」はいずれも音は「はやす」ですが、それぞれ意味が違っており、また語源も違っていま
>す。
>したがって、「生やす」の意味合いを表現なさるのであれば、「背に栄やし」という表現の用字法は、不適
>切と言わざるを得ません。
>
>なお、先に指摘したとおり、「捧げ見ゆ」という表現も見直された方がよろしいかと思います。

>背に栄やし身に沁む葛葉捧げ見ゆ

それではひらかなにして、

背にはやし 身に沁む 葛葉捧げ見る

では、どうでしょうか。
度々申し訳ありません。

---2010/04/18 19:44追記---

孤蓬さん、ありがとうございます。^^
今回は、

>悠久のしじま砕きし今生す

悠久のしじま砕きたれば今生く

>背に栄やし身に沁む葛葉捧げ見ゆ

背にはやし身に沁む葛葉捧げ見る

で、修正したいと思います。
今後、(といっても10年以内)旧仮名遣いにもチャレンジしてみたいと思います。
よろしくお願い致します。

---2010/04/20 18:53追記---
salcoさん
>密度が濃いです。

コメントとポイントをいただきありがとうございます。

訂正履歴:
背に栄やし身に沁む葛葉捧げ見ゆ→背にはやし身に沁む葛葉捧げ見る 悠久のしじま砕きし今生す→悠久のしじま砕きたれば今生く に修正。孤蓬さん感謝。10-4-18 19:57
雲の川街道並木に落つ銀杏 を取消10-4-18 13:02
季語溢れしも→季語溢るるも なずな見上げし→なずな見上ぐる に修正。孤蓬さん感謝。 10-4-18 11:48

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