詩を書く人のすべてが詩人じゃなくていい/たりぽん(大理 奔)
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 砂木 
例えば漫画や小説の中に取り上げられて
知った詩もあるように思います。
何を支え何に支えられているか
とても思いがけない事もあるかも。
テレビで幼稚園の子達が見る番組で
太宰治さんや 中原中也さんが取り上げられてて
仰天した事があります。
幼稚園の子達が 体を動かしながら朗読していて
詩って案外しぶといなあと 笑。
- 見崎 光 
- モリマサ公 
- いとう 
- 石畑由紀子 
読めてよかったです。ありがとう。

追伸・五段目を読んでのあれこれ
ずっと考えていたことがあります。私の文字表現は、この地層で土器になれるのだろうかと。
「形にする」ことは本当に「残る」ことなのだろうか、私の文字表現は果たして残り得るのだろうかと。記憶の中に私を持つ者は百年を待たずに皆入れ替わる。血肉の継承者もいない私は、ほどなくこの世のどこにもいなくなる。私の存在ごと、やがて知られない、認識されない者となるだろう、そこを経てなお私の未熟な詩や文章だけが語り継がれるとはとても思えなくて。
たとえるなら私という存在は、いつか考古学者が発見する土器のまわりに付着する塵程度かもしれない。この命ごと時代という地層に閉じこめられてゆくだろう、それまで、土に還る前の紅い落葉のように今この時を生きているようにおもいます。紅い落葉として認識されるつかの間、私を、どうか憶えていて、と。たりぽんさんの言葉を借りれば、それが群れに向けた私なりの個の追求かもしれません。ほんとはね、土器に、焦がれているのだけど。要精進。

そんなことをずっと考えていたせいもあって、この文章がすっと沁みました。
- プル式 
- 北大路京介 
- 長谷川智子 
- 伊月りさ 
靄が晴れた気がします。ありがとうございます。
- 銀猫 
- N.K. 
- エスカルラータ 
 
作者より:
 この散文コーナーには様々な随想や批評がアップされ、それを大変すばらし
いことだと思う。「述べる」ということに注力するブレインストーミング的な場が
少なくなり、自由に批判を恐れずに何でも言える場所というのはとても貴重だ
と思うからだ。その場の意味を理解し、雑多な意見・感性の中から宝石を探し
出せるかどうかは読者次第。疑問・反論・賛同・賞賛、様々なやりとりを経て
そこから生まれるものを何かの糧にできればそれでいいと思う。

反対に議論の材料そのものを恣意的に選別する態度の読者が居るとすれば、
山頂を見ずにサンダルで槍ヶ岳へ登ろうとする愚か者と大差ない。なぜならば、
あらゆるケースを想定して山頂への準備をする時、登山者は「自然には常識も
抑制も遠慮もない」ことを理解しなければならないからだ。 さらに言えば、違う
意見を持つ者を敵視し人格攻撃にまで及ぶ熱い気持ちはわかるが、この場で
は冷静に進めて欲しいと思うこともしばしばだ。
(蛇足として)

砂木さん:
新しいものもピカピカで良いけれど、古いけど残ってきているものにも
「残ってきた」という理由や価値があるのだということを再確認ですね。

蛾兆ボルカさん:
「個」を認める、というか「個というありかた」を認める、ということ
かも知れません。

石畑由紀子さん:
土器はきっと残ろうなんて思ってなかったのかも知れません。
「土器であろう」と強く思ったが故に、残ることができたのじゃないかと。
置き換えれば「自分であろう」と強く思う事が、未来へと記憶されること
に繋がるのかも知れないなと。もう少し考えが深まりそうです。

伊月りささん: 
こちらこそありがとうございます!

見崎 光さん 
モリマサ公さん
泉下イチイさん
いとうさん 
プル式さん 
北大路 京介さん
長谷川智子さん 
銀猫さん 
N.K.さん 
 
お読みくださりありがとうございました。

大宇宙困るさん
本文にもあるように「私という作品は詩だけでは完成しない」という事
でしょうかね。今はどんな名前も息苦しい感じがします。

矢ケ崎芳也さん
全くその通りだと思いますね。同感同感。本文中にも三段目に、テンションが
違いますが同趣旨の内容が盛り込まれています。なので突っ込みというよりは
ボケになってますね。今回は「詩人の定義」の話ではなく、「ある文章傾向への
アイロニー」という狙いもあったから話題の拡散を防ぐためにその方向は
ちょっと軽めです。

コメントありがとうございました。

追伸:
面白いなと思うのは、「コメントのみ」のコメントは「私」という人間に
何らかの興味があるご意見です。そしてポイント+コメントの方はこの文章の
内容から考えたことを書いてくださっています。これをどう類型化できるのかは
わかりませんが、読み手のいくつかのパターンが見えてくるように思いました。
「この文章は何を言っているのだろう」と考える人と「この作者はなにが言いた
いのだろう」と考える人。どちらも重要な視点ですね。


---2009/01/14 23:04追記---

訂正履歴:
最後の行を修正08-9-14 9:08

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