風潮と予定調和(ニュースを見ていて思うことなど)/塩水和音
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 大村 浩一 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- 渦巻二三五
ここで言われている「風潮」とは、「道徳」のことではないか、と思いました。

報道において、事故や事件の被害者が人格優れて慕われる人物であったようにことさら強調されることについては、私もかねがね気になっていたことですが、私の場合、(塩水さんのご意見とは違い)報道する者の意図について考えてしまうからです。
被害者がいかに善い人であったかが強調されればされるほど、加害者に対する憎悪の感情が増す。
そのような「大衆感情の操作」とでもいうべきものがあるのだと考えます。
>テレビの事故被害者遺族インタビューに、たとえば「認知症の父親が死んでしまい、少し悲しいけれども、どちらかと言えばホッとした」というふうな「複雑な心境」をした人間が存在しない
のではなく、存在しても報道されないのだと私は考えています。
もっとも、このような心境は、だれかれかまわずあからさまに言えることでもありませんから、「報道」という形では出てこないのも自然ではないかと思いますが。
それよりも、もし自分がこの被害者であったら、良きに付け悪しきに付け、このように自分の人格や人付き合いについて云々されるのはなはだ面白くないことだなぁ、という思いが浮かんでしまうのですが(笑

他にも読んでいて異論をはさみたいところがありますし、ぜんたい、無理を押してごいごり書かれた文章に思うのですが、
それでも、塩水さんが抱いている、そして幾分持て余しているらしい「わだかまり」の、なんというか「感触」みたいなものは伝わってきました。
 
作者より:
・ひばりくん
最近の傾向なのかどうかは知らないが、殺人事件の被害者が、非常に人格的に優れていて人望もあり素晴らしい人間だったということをクローズアップする報道がとても多いですね。
お前らそれほど事件の悲劇性を高めたいのかよ、世界をドラマにしたいのかと見る度についつい笑ってしまう訳ですが。
「それほど」といって、ひばりくんがどの程度の人数の割合をイメージしているのかはわからないけど、こういう報道が視聴率稼ぎの為に「一般の感性」にあわせてやっているとすれば、まぁ少なくない人数だとは言えるんでは?

「親に感謝すべき」というひとつの風潮を取りあげれば、それに従う人はそんなにいないかもしれない。が、従わない人とて別の風潮に従っているかもしれない。人間てのは矛盾の塊なので、世の中の風潮にしても一枚岩ではない。それらは互いに拮抗しあっていることもある。その中で、適宜自分にとって都合の良い風潮を着て歩くのが俺のイメージする「一般人」です。

本音と建前の区別くらいは誰だって幼稚園くらいの年から日常的にやっていることでしょう。折り合いをつけるなんて簡単なことです。
あと、一般水準からすればなんかの方面で「偏屈」なのは、むしろ誇るべきことだと思ってますよ。一般てのは文中の40歳女性のように間違いだらけで、奇妙に偏っている世界です。笑
三十歳ではまっているゲームがあるだけでも、三食カレーを食べるだけでも、詩を書いているだけでも、一般水準からすれば「変」なんじゃないですか。

歴史が頑固なのは歴史とは人間のワガママの積み重ねだからです笑
あと、何が世間の問題で何が自分の問題かだなんてすっぱり言い切れるのは不思議ですね。

追記
文中で俺は「思想や心情は自由な筈」と書いてますよね。社会の安定に一役買っているとも何度も書いているし、妥当であるとも書いてますよね。
この文章から俺の冷たさやもどかしさを感じるのは的外れではないですが。
しかし俺は、風潮の「存在」を否定しているのではなく、風潮のセンスが悪いと書いているつもりです。
ひばりくんも、この文章のセンスが気に食わなかったから、「誰が何をしようと自由」な筈なのにやりきれなさを伝えようとしてきたわけでそ?俺達がやっていることは本質的には同じです。
ひばりくんはセンスに対する批判を存在を否定しているのだと取り違えることが多い気がする。

詩は、まぁそのうちですね。
---2008/01/30 11:45追記---
・渦巻二三五さん
>ここで言われている「風潮」とは、「道徳」のことではないか、と思いました。

道徳に関係することは確かですが、しかし道徳そのものではないでしょう。

>報道において、事故や事件の被害者が人格優れて慕われる人物であったようにことさら強調されることについては、私もかねがね気になっていたことですが、私の場合、(塩水さんのご意見とは違い)報道する者の意図について考えてしまうからです。
>被害者がいかに善い人であったかが強調されればされるほど、加害者に対する憎悪の感情が増す。
>そのような「大衆感情の操作」とでもいうべきものがあるのだと考えます。

こんなちょっとしたコメントなんだから、実際はもっと奥行きのある意見なんだろうと思いますが。俺の意見と何がどう違うのか、具体的に見えません。

事故や自然災害の被害者でも、ことさら人間的に優れていたように報道されることがあるのですが、あれは事故や災害に対する憎悪を煽るためなのでしょうか。
ああそういや、事故の場合は「ずさんな管理」や「責任者」への相当厳しい批判がなされますし、自然災害の場合も県の対応が遅れたことがどうたらこうたら言われることがありますね。こちらは感情のはけ口にされていると理解していいものなのかどうか。
いずれにせよ。
マスコミにとって、事故も殺人も災害の被害者も同様に、人間的に優れていなければならない理由には、社会的不安・不満を増大させることで、話題を呼び売り上げを伸ばすという手段が使われていることが挙げられるんじゃないですかね。これらを『視聴率稼ぎの為に「一般の感性」に合わせてやっている』と言ったところで間違ってないと思いますが。

>のではなく、存在しても報道されないのだと私は考えています。

それって、「事実の隠蔽」では?

>もっとも、このような心境は、だれかれかまわずあからさまに言えることでもありませんから、「報道」という形では出てこないのも自然ではないかと思いますが。

そりゃそうです。
でも、どうしてだれかれ構わず言えることではないのか。
そういう風潮があるからです。

> 他にも読んでいて異論をはさみたいところがありますし、ぜんたい、無理を押してごいごり書かれた文章に思うのですが、
>それでも、塩水さんが抱いている、そして幾分持て余しているらしい「わだかまり」の、なんというか「感触」みたいなものは伝わってきました。

ども。なんだかそういうことを言われることは多いのですが、よくわからないけど俺の文章には致命的な欠陥があるみたいですね。苦笑。ありがとうございます。
---2008/02/02 14:54追記---
・渦巻二三五さん
追記ですけど。
渦巻さんが反応している俺のレスは、ひばりくんへの「それほど人々が風潮や習慣、道徳によって決められた行動・感動をするとは思えないですけれど。」というレスへの返答で、「風潮や習慣、道徳によって決められた行動・感動をする人々」の例として提示したものです。
マスコミがやっていることが、渦巻さんの言う通りの「大衆感情の操作」であったとしても、それはそれで「操作されている大衆」が「風潮や習慣、道徳によって決められた行動・感動をする人々」の例になる訳で、「本筋」においては、特に何も新しいものはないですよね。

・仲 仲治さん
はあ。

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