ポイントは数字か?(親指1000字エッセイ)/佐々宝砂
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 生田 稔 
ポイントと感情ということなのですね。確かに家計簿に書き込まれる数字より、現フォのポイントのほうが好ましい人は沢山いることでしょね。詩ヤ文章は心の鏡のようなものですから。
---2007/05/17 12:26追記---
- 水中原動機 
- 渦巻二三五 
---2007/05/17 22:31追記---
投稿文には共感してしまうところあるけど、作者コメントに書かれたことは良くない。とても良くない。どうしてそんなことここで言わなくてはならないの?
- おるふぇ 
-  
それでゆーと、ワシのこのポイントは要る? それとも無価値?
---2007/05/18 01:41追記---
不躾なコメントだったなーと少し反省。
ここは勝手口が開いてる集合住宅みたいな場所なので
不特定多数の様々な「ぼくのような」通りすがりポイントのことについて考えてしまいました。
角の立つ文章だけど、おっしゃることはわかります。
- あおば 
- リーフレイン 
---2007/05/17 14:18追記---
めっきり体力が落ちてしまって、ポイントしなくなっちゃいました。なのに、いただくポイントには一喜一憂しちゃいますよ。
困ったもんだと思ってます。
- 快晴 
ポイント1つ1つの意味合いが違うというのは非常に分かります。
ヒドい喩えではありますが初めて詩を読む人(私でもいい)の1ポイントと、
例えば三好達治が入れる1ポイントでは雲泥の差があるというだけでも。
それでも私は自分の詩にポイントが入るのは嬉しいということは認めます。
- 石田 圭太 
俺は作者の事が嫌いでも作品がよければいいもんはいいと思う。
率直でいいすね。難しい方だなとは思いましたが(笑)
-  
実名は出さない方がいいと思うんですけれども…
内容には同意です。
- m.qyi 
- こしごえ 
---2007/05/18 18:11追記---
>だが私は数字ではない。
そうですね。
- 千波 一也 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- 「ま」の字
>---2007/05/17 14:59追記---

 佐々さん、こういうこと書いて楽しいですか。また過去にあった
ことと同様の事態を引き起こしたいということなのですか。 何が
あったかは知りません。あなたからすれば言い分もおありなのでし
ょう。しかしこう名指ししてしまえば事態が大きくなるきっかけと
なりうることは十分にお分かりと思うのですが。

 私はこのエッセイに書かれたことは、その通りだと思います。な
ぜそれでやめておかないのです。なぜ余計な個人名まで書くので
す。

 ポイントをめぐる揚げ足取りみたいなやり取りも始まり、また何
度目かの「荒れ」の時期を向かえそうだ。いつものことと高をくく
る向きもあるだろう。だが周期は確実に短くなっているのだ。

 ああ、悲しい! このフォーラムはどうなってゆくのだ! 何
だ、この繰り返しは!

---2007/05/18 19:57追記---
上の文章は、佐々さんが---2007/05/17 14:59追記---で、個人名(ハンドル名)を名指していたことに対するコメントです。佐々さんが該当部分を削除したので、私のほうも引用していた該当部分(こちらにも名指された個人名が含まれていた)を削除しました。
- FUBAR
対話・・・・・・
文才がないせいでしょうが、
我はネット上では無理だろうなー
 
作者より:
ちょっと追記的説明。

較べるのもなんですが、原爆で死んだ人ひとりひとりに違う生活があり人格があったように、ポイントひとつひとつにも違う意味があるので、いちがいにすべてのポイントまとめていっしょくたにして「たくさん入った嬉しいな!」と言うのはなんか違うのではないか、ということです。ポイントひとつひとつを重要視せよということです。


アフロ者さん
ふふふ、ありがとう。
現時点で突くべき点を突いたのはアフロ者さんだ。

ポイントは嬉しいです。
「素直に」嬉しいときと「ねじ曲がって」嬉しいときとありますが、
まあどっちにしろ、嬉しいです。

---2007/05/18 02:16追記---

渦巻さんの意見に納得したのでコメントの一部を削除改訂しました。

---2007/05/18 02:18追記---

無名生さんなどが指摘してくださった、
「ポイントを入れてほしくない人の名前」については削除いたしました。

私は、対話を拒否する人からのポイントがほしくないのです。
最近お騒がせしてもうしわけなかった相手とは、私信でやりとりして、
考え方はすれ違ったまま、和解に至りました。
そのひとの態度は終始立派でしたし、物書きとしての覚悟もあったし、
自分の文章の影響についてもはっきり自覚した上で、書いていました。
私は正しい意味で感服し、そのひとに批判的なコメントをつけないと約束しました。
そのひとを批判した私の散文投稿も削除しました。
(私は自分の文章が確かな悪影響を与えると自覚したときしか削除しません)
そのひとと私の考え方はすれ違ったまんまです。でも、認め合えたとは思いました。
私はそのような話し合いをしたかったのです。

私が対話を要求するのは、相手の態度ではなく考え方に疑問を抱いたときです。
それで詩にコメントをつけます。コメントで返事があったりなかったりします。
そして時には、自分で自分の詩を削除してしまう人がいるのです。
あるいはご自身のコメントを削除してしまう人も。
私は詩の削除など要求していません。
私が要求するのは、
自分の文章の持つ影響について自覚すること、
自分の文章の持つ隠れた意味について指摘されたとき自分の裏まで考えること、
ものを書く人間として自分の文章に責任を持つこと、
あるいはそのような物書きであろうと努力すること。
それだけです。
(それだけっていうかこれだけできたらすごいや、私ぜんぜんできてない・・・)

---2007/05/18 20:49追記---

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