事実/岡部淳太郎
。要約すると、私の方でもまた、事実を引き寄せ
ていた。事実と私と、その両者が互いに引き合って、そ
れが事実の姿をますます鮮明にさせていたのだった。そ
のようにして顔をそむけることなく、事実を自らの眼前
にぐいと引き寄せて見ることで、私は悲しんでいた。だ
が、その期間もとうに過ぎ去り、あの時の事実は私の背
後にある。それでいながら変らずにそれが傍らにあるの
は、私が自らの思いで事実を引っ張ってきたためであっ
た。それは私が事実を自らのものとして、大切に保存し
ておくためのやり方であった。そのために、いまの私は
事実を身の内に置きながら、時にそれを地平線の向こう
側に没し去ることができる。それは私にとってたったひ
とつの恩赦であり、ひとりきりの淋しい解き放ち方でも
ある。あの時の事実。あなたがこの世を去ってから、も
ういくつもの時が剥がれ落ちては、消えた。私はもう涙
とともにはないが、事実は遠く、また近いところに、こ
うして存在しつづけている。私も事実もまた、同じよう
に重い。私はその中で、ひとりきりで生きているのだ。
(二〇一二年一月)
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