批評祭参加作品■詩のない批評:「反射熱」へ宛てて/2TO
)から異なる系列(セリー)へと送り出され、再び送り戻されるという「声」の“りふれくと”。いみじくもドゥルーズが語るように「リフレインは対象=Xに関わり、歌の節は分岐するセリーをなすが、そこを対象=Xが循環する」。この意味で「友」とはまさに「とも」という声の音であり、その音に「共」を聞き取ることである。そこには2つの眼差しがあり、そのような仕方で存在するのが「常に問う存在。問われる存在。」なのである。この「問う−問われる」存在が、その間を駆け巡る声にこたえること、そこにはまさしく「対話」があるのであり、その言説にエドモン・ジャベスのごとき「砂漠/流砂」が位置なき位置として、それも無償のものとして、”
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