批評祭参加作品■余白について考える試み/岡部淳太郎
 
 詩を構成する要素のひとつに喩や韻律などの他に余白というものがあると思うが、それはどうも語りにくい要素のように思われる。というのも、喩や韻律などは文字としてちゃんと人の目に見える状態で表われているのに対し、余白は文字をともなわずにただの白い空間としてそこにあるだけだからだ。言い換えれば、喩や韻律が独立してそれそのものとして語ることが出来るのに対し、余白はそれのみで語ることは出来ない。常に余白を生み出している文字(詩の内部を形作っている箇所)との関係なしには語れないのだ。地球上のすべての土地に木も草も生えておらず、家やビルなど何ひとつ建っていなければ、それは空地とは言わないだろう。それは単なる荒涼と
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   グループ"第3回批評祭参加作品"
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