絶語の果て/渡邉建志
の終止がないとなれば、う音 でものごとが終わらずに、い音 や え音 でものごとがほうりだされることになる――あるいは名詞
音のことばかり夢見ることが正しいことか、正しい詩の読み方か知らない 実際ぼくはいまこの詩の意味についてひとつも触れられそうな気がしない(そこにある音楽から自分の物語が始まるばかりだ…)この最後に現れる四行を読み終わったあと、ほうりだされて、そのあと無音―無韻のなかに聞こえてくるものは―見えてくるものは自分のなかの物語、自分の中に広がる映像
動詞があって、え音 で終わっていく 続いていく そう、「終わって「いく」(それは続いていく)」という感覚を今わたしは愛してい
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