地下の明かり取りの窓から見上げると、五月の太陽の眩しい頃に葉っぱを押しのけるように咲いていたツツジは枯れ萎み入れ代わるように(雪の頃には枯れ枝のようにツツジの植え込みから突き出していた)紫陽花に花が咲き(雨粒に叩かれる花弁が呼吸する羽根のようで)シジミ蝶が雨を凌ぐように群れているような様子で目を奪われるのだけれど窓からは(座る位置にもよるのだけれど)空が私の腕ほどしか見えなくなる。
私が一年で最も好きなのが今の季節の窓で(それは自己主張の強過ぎるツツジが枯れてホッとするからとか紫陽花の小さな羽根がかわいいからとかではなく)空を見えなくするように窓を覆い尽くす大きな濃緑の(紫陽花の)葉がたまらなく愛しいから。
私は(世界を支えている)背景が(他を傷つけない程度に)声を上げる暗い盲目の五月雨を支持する。