【petit企画の館】/蝶としゃぼん玉[319]
01/11 21:05
蛾兆ボルカ

>>316]ハァモニィベルさん
>>317]長庚さん

ご批評ありがとうございます。

お二人に触発されて、僕も作者ながら、また今更ながら以下のことを思いました。

『芸術』というとき、絵ならキャンバスの上にある絵具が構成している物体、彫刻なら眼前にあるその物体のことをまずは考えると思います。

でもそうした物理的なもの以外にも、その作品が引用している作品や引用の仕方、ひいては美術史、また社会背景やその作者の思想や人生なども鑑賞しうると僕は思います。
さらに、絵なら絵具の塗り方などの作成方法や、展示の仕方なども、作品という物体と同じように、やはり芸術として鑑賞しうるとも思います。

僕は自分の傾向性としては、自分は作品という物体そのものに、なんといっても強く感動しているのだと感じて、それが芸術鑑賞の醍醐味だと考えているのですが、それ以外の要素を強く意識する場合もあります。

国立科学博物館で開催されている、ラスコーの壁画展を見て、僕は様々な感動をしたのですが、『展示する』という芸術行為についても感動しました。

ラスコーの洞窟は、どうも宗教の儀式の会場ではなかったようだ、との説があります。
僕もあの絵は、宗教的な発想とは異なる、美術的な発想を強く感じました。美術的に対象を見つめて、芸術を表現する心、みたいなことです。
また、ラスコーの洞窟は、住居として使用した形跡もなく、住むためのスペースでもなかったとされています。

宗教でも家でもなく、優れた美術作品が展示されていた場所。
それはもしかしたら美術館だったのではないか。

それが現文化どころか、ここ数千年の文明とも遥かに隔絶した、2万5千年の昔に存在したということに、僕は感動しました。
絵にも感動しましたけど。
それは絵とは別に、『展示』という芸術行為を、それ自体芸術作品として鑑賞した、とも言えると思います。

エッフェル塔に対しても、実物を見ていないがために、展示の行為そのものを、エッフェル氏の作品として鑑賞しようとしたように思います。

長庚さんがくわしく調べて下さったように、自由の女神像は、エッフェル氏のデザインではないし、それを物理的な物体と見る限り、エッフェル塔に含まれる特徴と共通するものを見いだし、エッフェル氏の個性を作者の個性として鑑賞するのは困難です。
でも【展示する】、という行為そのものがエッフェル氏の芸術作品であった、と考えると、何か共通するものがあるのではないか。
書いた瞬間は明確には自覚してなかったのですが、御二人のレスを拝読して振りかえると、そんなことを空想しながら、僕はこの詩を書いたように思います。

何せ僕はエッフェル氏の伝記をまだ一冊も読んでないので、いまだに非常に漠然としたことなのですが。

ハァモニィベルさんのご批評を拝読して、そのあたりを僕は、伝わるように書いてなかったなあ、とも思いました。

それと、エッフェル塔は、写真で観て、実際美しく感じますね。
ラスコーの壁画も素晴らしい。
現フォの詩はどうか。
そうした物理的、具体的な作品批評と、コンセプト(存在のさせかた)を作品として鑑賞することは、やはり切り離せません。
そういうことが消化出来てなかったなあ、とも思いました。

いろいろ至らない作品ですが、歴史というテーマを頂き、楽しく詩作できました。ありがとうございます。
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