【petit企画の館】/蝶としゃぼん玉[316]
2017 01/10 22:49
ハァモニィベル

>>315(作品、by蛾兆さん)投稿感謝です。

書き出しのモノローグのところ、そこが、詩でないようでいて、
じつは、そこが、この作品の詩である部分だ、と感じました。

それは、そこから下はまずいという意味ではなく、それによって、
命題を含んでいながら、論証性が薄く展開されてゆくこの作品の
そこから下もすべて詩になったから、という意味で、この作品の
味の要はその書き出しの所にあります。



〈そこから下〉だけでは、微妙になったかも知れないのは、第四連
が弱いからです。
 「機能美」に関する部分が、このままだと、賛成派からも反対派
からも共感しにくいのではないかなあ、と思います。。
 エ氏の言う「機能美」は、おそらく、無駄のないシンプルな美しさ
ということで、それは、当時定番だった「装飾過剰」趣味に対置した
ものでしょうから。論点をズラして批判してるように見えます。

 1900年のパリ万博の時でさえ、実際は、アール・ヌーボーではなく、
装飾華美のクレーム・シャンティー様式というネオ・ロココ調が支配的
だったといいますから、鉄骨剥き出しは、許しがたいほど常識に反して
いたということなのでしょう。それは、逆に言えば、装飾過剰に関して
はどんなに異常でも疑いを持つことがなかった、ということでもあります。

 (当時のひとが、なのか、誰がなのかは不明ですが)
 論点をズラして批判している印象があると、全体の説得力に影響しま
すから、折角、ラストのところで、一歩踏み込んだところも、弱く感じ
てしまうように思い、惜しい気がしました。


(もう一つは、)
 二万五千年(前・後)の人が、「かの天才」、「誰か」として、語り手とは
別人として出てきますが、それらが、対象物をどう評価するか、の予測は語ら
れるものの、語り手自身は、いったい、ラスコーの壁画と、巨大建築物と、現
代詩フォーラムの、この三者の関係をどう見てるのか、どうも、しっくり伝わってき
ませんでした。(どう捉えていても、いいのですが、捉えている感じがしない、
ということです)


(最後、)
 「へんな記号」 と定義する感覚と、「詩だ」 と判断する感覚のところ。
この感覚が一致するとして、その場合、その点になにか、腑に落ちる表現
が欲しいような気がします。(理性でなく、感覚とか直観のレベルで、です)

 仮に、たとえば、
 〈へんな記号も詩である〉 という命題がイメージされてしまう可能性があるとしたら
その命題に対しての、〈どんな場合は詩でないか〉という説明が、作り出すイメージ
のなかに必要だと(わたしなら)考えます。

ま、「わかるのだけど」、と、「わかる」という言葉を使わずに、
「感じる」とした方が、よかったのかもしれません。(あくまで私の感覚です)

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みなさん、力作を贈って下さり、喜びのあまり、
 色々細かいことを述べてしまいました。サービスし過ぎましたら
何卒、お許しの程、ひらに、ひらに。

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