【petit企画の館】/蝶としゃぼん玉[313]
2017 01/09 05:04
ハァモニィベル



 【エッフェル塔】について

 橋梁設計技師であったギュスターヴ・エッフェルという人は、
産業皇帝ナポレオン三世治下の「技師の時代」に出逢えた幸運児でした。
 1889年に開催される第四回パリ万博に向けたコンペでも、
当時の首相と組んで半ば予定されていたブールデの「太陽の塔」を降して、
彼の「三百メートルの塔」はみごとに選ばれます。

 大量の大理石と照明を使い工期のかかる「太陽の塔」より、鉄骨オンリーの
エッフェル塔のが、費用においても時間においてもコスパに優れていたから、
と言うことでした。

 さて、この鉄骨のカタマリが、

じつは、

 当時の「美」の感覚からみたら、異物も異物、
 そーとーズレたシロモノであったから、大事件でした。

パリにそぐわない、と、モーパッサンはじめ300人もの文化人がこのと反対署名を行います。
世紀末(19世紀の末)に入った頃のお話です。

 対してエッフェルは、「機能美」ということを主張・反論しましたが、言わば、それこそ、
まさに20世紀的な感覚ということになる(なっていく)ものでしょう。

 しかし、面白いことに、後日、サンドラールなどの若い詩人たちが、老境に達したエッフェル
のもとを訪ねるのですが、〈エッフェル塔〉の美しさを皆に讃えられると、何を冗談言ってる
んだと、最後まで本人が、全く本気にしなかったという逸話が残っていて、
エッフェル自身が、〈エッフェル塔〉のことを、(新世代の若者達が「美しい」と言うようには)
美しいとは思えなかったということです。(作者自身もまた旧時代に属していたようです)

 パリの名物は、かつての迷物。それは、今見れば、
 時代変化の象徴として〈歴史〉の中にも立っています。



 〈エッフェル塔〉を美しいと感じる新たな感性とともに、20世紀は始まったというわけです。


 19世紀までは、
「年年歳歳 花相似たり、歳歳年年 人同じからず」 という感覚そのままに、
自然は永劫回帰で、歴史は進歩してゆく、と思われていたようです

が、

 そうした19世紀の夢が、悪夢となって返ってきたのが20世紀でした。



 20世紀の前半は戦争の時代であり、その後半は、科学技術全盛の(便利なのに幸せでない)時代。
それにつづく現代、
追い詰められた精神は宗教の過激化となって噴出し、大自然もまた悲鳴を上げている。

 「自由」は、人間にとって最重要な価値である筈ですが、それも大衆化社会においては、自由になるほど
低俗化の度が増していくことは、オルデガの言うとおりの観もある。

 良くも悪くも時代は流れ、広がっていく・・・



〈エッフェル塔〉を観ながら、そんな事をあれこれと
考えてみるのも、また愉しからずや。

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