2016 04/21 10:30
るるりら
先日、ハァモニーベルさんが まどさんの素晴らしい「 消しゴム 」の詩を、雑巾にかえても成り立つという 主婦が聞いたら生活に張りがでるような お話がありましたが、
ネットの実態は、醜いです。消しゴム⇔雑巾どころではないです。
先日から、私は まどみちおさんの 消ゴムを 先日からなんどか検索にかけて味わっていましたすると、どうも大人じゃあなさそうな上手とは言えない文字でつづられた「 消しゴム 」が出てくるので、なんだろうかと首を傾げていたのですが、その画像は小学生が 鉛筆で模写したものでした。そして、それを見たネット内の一部の人々は あの まどさんの「消しゴム」という作品を 小学生の作品と思った人がいるようです。
いやー。これは消しゴムで消すべき事態だなあと思いました。。
ネットという媒体って ほんとコミュニケーション革命ですよね。すごいことです。あっという間に 情報のきれはしだけが流通するのです。そして、
まどさんの作品が 小学生の凄い子が書いたことに なってしまう。
ネットというものは一事が万事でしょうから、ネットだけをながめていたのでは 現実と乖離するばかりです。ネットというものは あたかもリアルな情報のように思わせる即時性があるし、おそろしいことだと思います。
このような環境におかれている こどもたちの心は、そして私たちの心は どんなものだろうかと 思いました。こどもたちが集団でいるところ良く見るのですが、ゲームをよくしています。私も携帯ゲームも好きです。人を殺す物語とかは仮想空間では普通です。しかしフィクションが成立するためには 作家による背景描写というお膳だてが とっても大切で、作家の名前や題名を踏まえることで わたしたちはリアルとリアルでないことの境を やっと持っているのだと思います。
まどさんの文が小学生と誤解されてネット内でうわさされていた件を通して、こんな世の中だからこそ 文がどのような背後で掲示されたものかを わたしたちはとても注意するべきだと思いました。