忘れること、忘れないでいること
岡部淳太郎
忘れる。人だとか物だとか、さまざまなものを人は忘れていく。今日を生き延びるために、無理矢理にあるいは自然に、忘れていく。だが、その一方で、忘れないでいるという選択もある。かつて一緒にいたけれどもいまは離れてしまった人、所有していたけれども失くしてしまったり捨ててしまったりした物、そうしたさまざまなものを、人は忘れずにいることが出来る。今日のために忘れるよりも、今日という日のための教訓や彩りとして、それらを忘れずにいるということ。記憶という広大な海の中で、人は日々意識してか無意識のうちにか、物事に対して忘れてもいいものと忘れてはいけないもののどちらかに分類して生きている。昨日の夕食のメニューが何だったかを忘れてしまってもかまわないかもしれない。だが、その人にとって大事な思い出となっているもの、それにつながるさまざまな物事は、忘れてはいけないものとして記憶の中にしまわれる。忘れる。あるいは忘れない。そのどちらかの選択が成されるのは何故なのだろうか。僕はあなたの記憶の中で忘れてしまってもいいものの方に分類されているのか。それとも、忘れてはいけないものの方に分類されているのか。時にそんなことが気になって仕方がなくなることがある。
人は在り、いずれ去る。ただ目の前からいなくなってどこか離れた場所で元気にしている場合もあれば、文字通りその人がこの世から去ってしまうこともある。いずれにしても、人が目の前から去ってしまえば、その人はただ記憶の中で生き残るということになる。だが、時にその記憶の中からさえも消し去られてしまうこともある。忘れてしまうのだ。その人に関するあらゆる物事を忘れてしまって、日々の生活の中に埋もれてしまう。それは淋しいことではないだろうか。
かつてひとりの詩人がいた。彼はすぐれた詩人であると同時に、すぐれた批評家でありすぐれた小説家でもあった。彼は二〇〇六年の途中まで「現代詩フォーラム」に在籍していたが、ある時すっぱりと退会してしまった。そして、彼が「現代詩フォーラム」にいないことが当たり前のようになってきた二〇〇六年九月、僕は彼が亡くなったということを知った。驚きだった。彼は僕から比べればまだ若かったから、退会をよくあることのひとつとして受け止めまさか死ぬなどとは思わなかったのだ。彼は若かったが、僕などよりもずっと才能があり頭も良かった。詩に小説に批評にと縦横無尽に筆を揮う彼に僕は感嘆し、心のどこかで畏怖に似た思いを抱いていた。
彼の死のしらせを聞いた後、僕は彼のために一篇の詩を書いた。彼が残した一連の詩群からの引用と着想を含んだその詩はやたら長かった。彼の「一行目から書き始める、」という詩にならって、僕はその長詩に「最終行まで」というタイトルをつけた。詩の中ではっきりと書いていないし注意書きにも引用の出典を記していなかったが、勘のよい人ならばこの詩が彼のことを念頭に置いて書かれたものだということに気づいてもらえたのではないかと思う。
そろそろ正直に言うべきだろう。実を言うと、僕は怒っているのである。いや、怒りに似た感情を抱いていたと言いかえた方が適切かもしれない。彼の死に対してではない。彼が亡くなった後、それに対してみんなが何となく触れてはいけないようなものとして、彼のことを語るのを避けているように見えたことについてである。そんな態度に対して、僕は怒りに似た感情を抱いてしまったのだ。まるで彼がいたことを最初からなかったことのように、そんな人は初めから存在しなかったかのようにみんながふるまっている。そんなふうに思えて僕はいらだっていたのだ。
人が亡くなる。この世から消え去る。それに対して残された者たちがとる態度には大きく分けて二つが考えられる。ひとつは亡くなった者を慈しみひたすらその人について語りつづけること。もうひとつはあえてその人について口を閉ざし沈黙を守ることである。ひとつ目の態度は時に危険だ。死者について語ることは、死者が身近な存在であればあるほど醜態をさらしているというふうに受け止められる可能性もあるし、僕が以前に「詩人の罪」という散文で書いたように死者について語ることがすなわち罪であるかのように思える(または思われる)こともある。ふたつ目の態度を選べば、表面的にはなんら問題はない。黙っている限りは何も波風を起こす心配はない。そのことについて口を閉ざし、他の話題を語りつづけていればいい。それで何となく社会に参加しているような気になれるし、語らずにいることで死者のことを忘れ、日々の忙しい現実に目を向けることが出来る。だが、僕はあえて語りたいと思う。ある種の人々から死者への冒涜だと批判されるかもしれないが、語りたいという気持ちを抑えることは出来ない。それに、あえて死者に対して口を閉ざしていることは、僕にとっては時に欺瞞のように思えることがある。死という重い現実から逃げているようにも思えてしまう。だからこそ、僕は語りたいのだ。語ることによって罪が生じるかもしれないが、それでもかまわずに僕は語りたいのだ。ともすれば忘れられてしまいそうな死者を自分自身の記憶の中に刻みつけるために、また、死者について忘れてしまいそうになっている人々の記憶を揺さぶるために、思い出してもらうために、僕は語りつづけたいのだ。
いまから二年以上前、僕の実の妹が亡くなった。そのことは「墓地の壁」「駈けていった」といった詩や前述の「詩人の罪」といった散文に書いた。二〇〇四年の春、三月下旬のもう桜の花が咲いていた頃だった。僕は当然勤めていた会社を何日か休んだ。そして仕事に復帰した時に、会社の人たちに亡くなったのが妹であることを語った。その時は彼等も同情してくれた。だが、時が経つにつれ、彼等の中から僕の妹の死という事実が消え去ってしまっているような気配を僕は感じた。誰もがみな、そのことを忘れ去ってしまったように思えたのだ。ある時、母にそのことを言うと、母は「他人なんてそんなものだよ」と言い放った。そうか。そうなのか。僕は悲しい思いを抱えながらも何となく納得してしまった。僕が立ち止まるのはまさにここなのだ。ひとつの死に対して他人が忘れてしまうこと。日々の生活の中で擦り切れるように忘れてしまうこと。そのことに、僕は怒りのような淋しさのような何とも言いようのない感情を抱いてしまう。
詩人は亡くなる前に、一冊の小説集を刊行した。そこには三篇の短篇小説が収められており、僕は「現代詩フォーラム」の私信を通じてそれを購入している。いま読み返せば、何とも言えない物悲しい気分に襲われてしまう。その中に、偶然だろうか、「忘れる。」と題された一篇もある。この小説の表題のように、彼は人々の記憶から忘れ去られてしまうのだろうか。あれほどすぐれた才能を持った人が忘れられてしまうなどというのは、何とも理不尽なことのように思える。だが、彼は「現代詩フォーラム」を退会してしまい、彼がそこに発表したすべての文書は綺麗さっぱりなくなってしまっている。手元に残った一冊の小説集だけが、彼が存在した証しになってしまうのだろうか。それだけではまだまだ足りない。彼が発表した詩や評論も、彼と一緒に忘れ去られてしまうのだろうか。
忘れること、忘れないでいること。過ぎ去ってしまった人や物に対して、そのどちらの態度をとってもいい。だが、中には決して忘れないことを心に誓って、過ぎ去ってしまった者について愚直に語りつづける者がいてもいいだろう。たとえ周囲の人たちすべてが忘れてしまったとしても、その死を自らにとっての切実な問題として引き受けて、忘れずにいる者がいてもいいだろう。亡くなった詩人も、僕の妹も、忘れずに僕の記憶の中にずっと存在しつづけていくのだ。
(二〇〇六年十二月)