これは詩ではない。
佐々宝砂

(1)

外では血の雨が降っている。誰が死んだわけでもなくて、ただ空が血の雨を降らせている。ねばねばと。あたしはなにがしたいのだろう、あのひとはなにがほしいのだろう、なぜここはこんなにも寒いのだろう。春なのに。

カビくさい書庫の奥にいるあたしの兄は表通りにいちども出ることがないままに腐ってゆく。ふるぼけた白粉をにおわせたあたしの姉は誰からも愛されないまま春先の嵐に飛ばされてゆく。退屈だ、退屈だ、退屈だ、ああ、あたしはいくど退屈だと書けば気が済むのだろう、それは、けして起きないのだろうか? 机の抽出の奥でとぐろを巻くみどりいろの蛇よ、水晶を尖らせろ、それであたしの胸を突け。

書きたいことを書けないままに書いてゆく、それは詩だろうか、これは詩だろうか、「悲しみよ去れ去れ喜びよ来たれ来たれ」と歌おうか? こんなものは詩じゃない、そんなものは詩じゃない、あたしは海より深く絶望しているのよ。

罪も愛も涙も恋も傷も知識も言葉もあたしには要らないあたしは孤独だ。あたしは成長してゆく、大きくなってゆく、もっと大きくならなければ、谷山浩子にそんな歌あったな、でもそんなことはどうでもいい、ここは広すぎる、巨大な、空っぽの、うちっぱなしの殺風景なコンクリート壁の、つめたい倉庫だ、そうだそういえばここはアーカイブだ、あと何バイトあるのだろう?

どうしたらいい? どうしたらいい? 風がむらさきの砂を運んでくる。あたしはひとりで立っている。この荒野に、ただ、枯れ木といじけた草だけが生えているこの荒野に。兄も姉ももういなくて。ただ、ひとりで。



(2)

景気のよい破裂音がほしかったのに赤い風船はへなへなとしぼんでゆく。せめてどこかに飛んでゆこうという覇気はないのか。なまぬるい水があたしの中にまで押し寄せてくるめかりどき。

カップラーメンに哲学の滓を浮かべてあたしはブック・オフの百円本を読む。あたしもあなたも取り替え可能だと構造主義の誰かさんは言うし私は私で私のことを私のために私の言葉で私なりに書くのだと君は言うけどつまりつまるところつまらないものはつまらない。

魂の台所の火は消えた。あたしはあなたを暖めてあげられない。次の店を探してかっこつけてバーボンでもジンでも呑んでちょうだいそこにはきっと可愛い女の子がいるでしょう。だけどどうか心配しないであたしは今日も元気に靴下を繕う。

水があふれてくるこの庭先にあたしは砂を撒く。春なのに掃いても掃いても掃ききれない枯れ葉の山。あたしは砂を撒く。繰り返し繰り返し撒く。幸福の王子は宝石と黄金をはぎとって幸福だが、あたしはこれ以上何をはぎとろう? あたしは砂を撒く。誰かがもういいよと言ってくれるまで。

堆積してゆくあまい記録紙の束にあたしはガソリンをかけチャッカマンで火をつける。そうだよ、初歩的なことだよワトソンくん、こうすれば言葉は燃えるんだ、それがどんな言葉であったって。



(3)

なので、あたし行くことにしたのよ、本とPC抱えてね、あなたはついてこない、それはわかってるけどもうそんなことどうでもいい、夜は明ける、死のうとした昨日はくすんだ赤の夕陽に照らされて過ぎてしまったね、それで青木ヶ原の樹海で布団しいて待ってたのだけどテントがディスカウントショップの安物だったもんだから三月半ばじゃまだ寒くてさ。

自嘲? ちがいますのよ。

あら誰かきたわ、あんたトリルビーね、そうなのね、ああ恥ずかしいわ、台所はぐちゃぐちゃだし竈は灰だらけなの、あんたがしばらく来なかったから、ねえトリルビー、火花をぱちぱちと鳴らしてちょうだい、火をぼうぼうと燃やしてちょうだい、あたしはあんたがきらいじゃないのよ、でもあたしはつまらぬ女に過ぎない、あたしのために掘られた墓はひどく浅い。

自縛? ちがいますのよ。

たまに日のしたに出るとくらくらする、吸血鬼のあたしは友たるゾンビを従えて久しぶりの陽光を浴びる、死ねるかな、今日こそは死ねるかな、灰になろう、埃になろう、風に飛ばされよう、銀の杭に心臓を貫かれよう、聖書に手を置いて煉獄の業火に灼かれよう、ああでもだめ、あたしはまだそこにゆけない、なのにあたしは死んでいる、あたしの血は青い。

自虐? ちがいますのよ。

なので、あたし行くことにしたのよ、真っ白なウソも真っ赤なウソもまとめてレンジでチンして朝食に添えよう、朝のコーヒーカップは昨日のコーヒー滓に薄汚れている、だけどあたしはけらけらと笑いながらテーブルの上のハンプティ・ダンプティにおはようを言う、自瀆の手はどろどろに汚れているけど、それがなにかしら、そうよ、あたしは、自家撞着の、自瀆の、荒野の女詩人。


自瀆の「瀆」が潰れて、あるいは表示されなくて、読めないかもしれません。
サンズイに賣、略字体では「涜」です。
(2000)



自由詩 これは詩ではない。 Copyright 佐々宝砂 2006-09-17 04:58:37
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