双子の花火
あおば

先祖は、なにをしていたか分からない
落ち武者とも河原乞食とも言われている
本家の実さんは、強い侍の末裔の顔をして
武者人形の鎧を磨く
子供の頃、母に聞いたら
戦争でお寺が燃えたから、本当のところはよく分からないのだと
否定的なことを言う。
母には関係ないことだから、冷淡な物言いだ。
父は、直接関係ないから、実さんに下駄を預けて知らないふりをする。
知っているのならば教えてくれたって好いのにと思う。
父は、家の者には素っ気ないけど、知らない人には饒舌で話もうまい。
若い頃小説を書きたかったと、母に告げたとはお笑いぐさだが、案外的を射ていたのかも知れない。
童話一冊無い家に、文藝春秋が転がっていて、家族みんなで暇つぶしに読んでいたが、
なにも小言を言わなかった、いつも機嫌の良くない父の顔を思い出す。
鬼のような顔とは、あの顔を言うのであろう、お陰で怒った顔の人には馴れて慌てなくなった。
怒るとは、自分だけの世界を爆発させて、なにかを楽しんでいるのではないかと疑っている。
怒ることで自分に戻り自分を取り戻し、落ち着いて生きていける。そんな生き方を身につけたのだ、鬼になって。

花火の日が近づくと、みんな落ち着きが無くなる。
雨だと中止になる。
風でも中止になる。
中止になると、来年まで延期だ。
双子の赤ちゃんを連れた人も、来年は復職して忙しくなり、夜の花火を眺めるために、国境の辺境の河原に、やってくる時間もとれなくなり、テレビ中継の、スターマインを眺めて、ほら花火よ、おとうさんといつか見に行きましょうねと、語りかける日々を過ごすことになる。
そんなことも知らないで、ビールを飲み過ぎて、落ち着きを無くしたどこかの小父さんは、足を踏み外し河の中に落ちて、全身濡れ鼠になって、みんなの物笑いになって、河原乞食の末裔だとばれたのも知らないで、着替えた後で懲りずに酒を飲みながら、僕に向かっていくつもの先祖自慢をしてくれて、鍵屋の末裔だと法螺吹いた。




自由詩 双子の花火 Copyright あおば 2006-09-04 03:02:54
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