さよならの陰影
新谷みふゆ

くちなしの花が咲き終えようとする頃に
空はセロファンのように震え
雨粒をくわえた鳥がひと足先に海へと向かう
砂浜に音も無く降る雨が
そこから遠い鉄塔の下で匂っていた

しだいに背の高くなるとうもろこしが
夏へは連れて行けないと諭すように
濡れたあたしを隠していく

バランスはいつもよく保たれている
なのに雨の日は空も海もなくなり
空気だけになってしまう
舟も鳥もあたしも動かずに ただ遠くを見ていた

いつもいつも あたしのバランスは遅れている
とうもろこしの陰から飛び出した
乱暴に人形を握ったあたしが
大人のような顔をして走り去っていく

知らない・・・ なんて言いながら
本当はあの頃から知っていた
鉄塔の傍はいつも雨だった
うなじでゆれる後れ毛は
ちゃんとさよならを知っていた


眼の前をおおう羊歯の葉は幼いあたしの匂い
扇風機の風にゆれ いつも苦い味を飲んでいる
いつも濡れているくせに
いつも乾いている空気を夏は垂らしてくる
あたしはわけもなく胡瓜ばかりを齧ってしまう

水玉模様のコップはいつも空
あたしが残らず飲み干してしまうから
扇風機に絡まって 髪はよけい癖毛になっていく

湿度五十七パーセントの部屋で
青い羽根を廻す扇風機が
水玉模様のコップに乾いた音を注いでいた
肩越しには乳酸菌飲料の儚く白い泡が・・・

そして肩には
去年の夏と一昨年の夏とその前の夏と
何時かなんてすっかり忘れてしまった夏とが
あたしの生まれる前の傷痕と一緒にゆれている


鉄塔の傍はいつも雨
草いきれの強い匂い・・・
じきに暑さが湧いてくる・・・
いつかさよならをすること知りながら
あたしたちはいつも命をみつけようとする


自由詩 さよならの陰影 Copyright 新谷みふゆ 2006-08-18 16:55:59
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