12年間の入院と、高校生活を振り返って。。。(長いので暇つぶしにどうぞ。)
Lily of the valley

ボクは、12年間、入院しました。
病院は、いろんなことのある場所です。
亡くなる方もいれば、元気に退院していく方もいる。
何人の人を、ボクは見送ったのでしょうか。
何人の人の、冥福を祈ったのでしょうか。
たった2つの頃に、親から離され、たった1人、小児科病棟に入れられた。
毎晩毎晩、泣き寝入りのようなものでした。
見舞いに来てくれない親、姉妹。
13歳年の離れた腹違いの兄だけが、心の支えでした。
いつもいつも、側に居てくれた兄。
ボクはブラコンです。
紛れも無く、ブラザーコンプレックスです。
雨が降ると、今でも必ず一緒に眠ります。
学校では習えなかった勉強も、兄に教わりました。
家では見れなかったテレビ番組の内容も、リリースされたCDも、全部兄から聞きました。
側にはいつも、兄が居ました。
だから、寂しくはありませんでした。夜の間は。
でも、昼間は1人です。
他のみんなは、病院の横にある、養護学校に出掛けます。
ボクは、一人ぼっちになってしまいました。
小児科病棟の個室の中、たった1人で考えていました。
退院したら、やってみたいことを。
外を、思いっきり走ってみたいとか、学校でたくさん友達を作りたいとか。。。
でも、何も、思い通りにはならないものです。
毎朝、起床し、朝食を取って、1時間後検査室。
検査が無い日は、部屋で本を読んで過ごしました。
し〜んと静まり返った部屋に、時折看護婦さんがやってきて、
『調子はどう?しんどくない?お熱計るね。』と言って、検温をして去っていきます。
盆も、正月も、自分の誕生日もクリスマスも。
家に帰れる日は、せいぜい1年に2、3回。
久しぶりに家に帰れても、耳にするのは、両親の怒鳴り声と、姉妹の喧嘩をする声だけ。
夜、ゆっくり眠れるのかと思えば、今度は両親が喧嘩を始める。
ボクは、必死に寝た振りをして、耐えました。
4LDKのマンションでは、1人で泣くことも出来ませんから。。。
病院に居るときは、家に帰れる日を指折り数えていたのに、いざ家に帰ると、今度は病院に戻れる日を、指折り数えました。
とは言っても、家に戻れる日など、1泊2泊のものですが。。。
14のときに退院して、学校に通い始めました。
普通の、公立中学です。
友達は出来ました。
たったの3人だけど。。。
でも、1年後、友達の1人が、亡くなりました。
もう増えることのない、その子との思い出に、今でも涙する。

人はどうせ一人なんだ
どんなにがんばっても一人なんだ
二つのカラダを
無理矢理
一つにしようとしたって
それは
ただ一時の
カイカンを得られるだけ
ただ一時の
シアワセな夢を
見られるだけ
壊してしまえ
何もかも
綺麗な姿も
汚れない瞳も
悪しき心も
弱き魂を


寂しかったのかもしれない。
苦しかったのかもしれない。
ボクのように、死に憧れていただけなのかもしれない。
でも、今となっては何も分からない。
もう、真実を語ってくれる人は居ないから。。。
ボクは、その後、その子の行きたがっていた高校を受験した。
それが、先日卒業した、これから先、ボクの履歴書に書かれるであろう、高校。
最初は、やる気も、何も無かった。
友達なんて、作る気にもなれなかったし、勉強もする気になれなかった。
1年の終わり、ある先生に出会った。
ウマとロバを足して2で割ったような顔をしていたその先生、生徒間でのあだ名は、ロバ男(お)。
ボクに生物を教えてくれたその先生は、ボクの心を救ってくれた。
助けられなくて、死なしてしまった友達のために、スクールカウンセラーを目指しているというボクの進路を聞き、返ってきた言葉は、『何で自分のやりたいことをしないんだ!?』だった。
自分の決めた進路、それが正しい道なのだと、ボクは思っていた。
なのに、その先生は、『何でお前が責任感に駆られなければならないんだ。』と言って、ボクを叱咤した。
学校の中で、唯一ボクの心の中を見て、叱ってくれる先生。
耳にピアスを開けたときも、アルバイトが学校にばれたときも、夏なのに夏服を着なかったときも、怒ってくれたのはその先生だけ。
少し、嬉しかったような気がした。
その先生に会って、ボクは人間の心を少しだけ取り戻せた。
2年生に進級して、補習で新しく知り合った、生物の先生。
生徒間でのあだ名は、ダダダダ先生。
どういう意味があるのか、どこから来たあだ名なのかは知らない。
その先生は、他の生徒には評判が悪かった。
真面目すぎた所為かもしれない。
でも、ボクにとっては、とっても良い先生。
ロバ男先生と同じくらい、掛け替えの無い先生。
3年になって、その先生が生物を教えてくれた。
その先生を知るようになって、先生の内面が、少しずつ見えてきた。
自分に絶望しているような人だった。
自分は木になりたいのだと、豪語する先生。
5月の終わりくらいに、先生は入院した。
心配で心配で、学校帰りに、友達とお見舞いに行った。
顔色も悪いし、寝苦しそうに眠っていた。
学校で聞かされた病名は『十二指腸潰瘍』だった。
命に別状は無いが、緊急入院した翌日、手術をしたらしかった。
2週間前の体育大会で、笑っていたとは思えないほどの変貌振りだった。
退院しても、しばらくは体調が思わしくないように思えた。
退院後すぐの授業で、先生は十二指腸潰瘍の説明をしてくれたが、どうやら2回目だったらしい。
夏休み。
夏期講習の受講者も、両手の指で数えられそうなほどだった。
その上、受講者は、回を増すごとに減っていった。
どの講習でも言えることだが、実におかしな話だ。
11月。
3年生にとって最後の定期考査を控えた、最後の生物の授業。
先生は、ボクたちに自分のことを話してくれた。
内容は、先生のプライベートに関わるから書かないが、先生は最後に、『死ぬな。』と言ってくれた。
自分より先に生徒が死ぬのは、嫌なのだと。。。
12月になって、試験が終わると、3年生は自主登校になった。
ダダダダ先生の初めての特別授業。
来たのは何故か、ロバ男先生。
みんなで思わず声をそろえて、『えっ?』と言ってしまった。
受講者は、たったの4人。
先生に聞いたところによると、7人は居るはずだったのに。。。
次の回は、3人。
その次は、2人。
そして、センター試験が終わると、とうとうボク1人になった。
受講者が次第に減っていくのは、夏休みに体験したが、1人と言うのはやはり寂しい。
しかし、先生と2人きりというのも、悪くは無かった。
マンツーマンの授業、先生は口にした。
『老い先が短い』と。。。
先生は、本当に、死にたがっているように思えた。
まるで、3年前のボクと同じように。。。
今のボクも、死にたがっていないと言うわけではないが、
3年前の、一番ひどかったときよりは、少しマシになった。
その頃は、学校もほとんど行かなくなり、行っても、昼、5、6限だけを受けに行っているようなものだった。
それではいけないと思いながらも、授業で当てられても、目は焦点を捕らえることが出来ず、ずっと虚ろなままだった。
それは、本当に学校中の先生と言う先生が心配をしていたと、後に親から聞かされた。
昔は、あれほどまでに学校に行きたくてたまらなかったはずなのに、些細なことが、心に溝を作ってしまった。
しかし、今ではそれさえも過去。
高校3年になって、新たに出会った先生が、もう1人居た。
数学を教えてくれている先生。
あだ名は、いっちー。
そう呼んでも、その先生は嫌そうな顔もしなかった。
聞くと、他学年からも、そう呼ばれているらしい。
いっちーは、少し兄に似ていた。
顔が似ているわけではないが、数学を教えていることや、声、仕草が似ていた。
1つだけ、決して似ていなかったのは、いっちーは生徒の名前を覚えないと言うことだった。
ボクも最初は名前を覚えてもらっていなかったようで、『お前』と呼ばれていた。
しかし、夏が近づくと、いい加減名前を覚えてくれたみたいで、苗字を呼び捨てに呼んでくれるようになった。
少し特別になれたような気がして、嬉しかった。
気がつけば、数学教師の職員室と呼ばれている、数学研究室(略称:数研)に入り浸るようになっていた。
ボクだけの先生へのあだ名も出来た。
『いっちー』から、『いっちゃん』に変更。
ボクだけがそう呼ぶ。
少しだけ、先生を独占しているような気になれた。
ボクは、自主登校になってからは、学校に行けば、朝から夕方まで数研に入り浸った。
用も無いのに学校に行っては、そこで勉強をして一日を過ごす。
そんな感じだった。
家に居るよりも、居心地の良い場所であったことは、間違いない。
しかし、1月22日から、数研には立ち寄っていない。
いっちーとも、口を利かなくなった。
理由は、1つ。
その日、いっちーは、他の数学の先生から、生徒が入り浸るのは良くないといわれたらしく、ボクは、休み時間以外は立ち入り禁止だと決まったと、その日の朝、告げられた。
その日から、いっちーに迷惑がかかるくらいならと、数研に行くのを止めた。
卒業式までには、一度謝ろうと思っていたが、ついに、口を利くことは無かった。
2月20日。
高校の卒業式が、学校の講堂で執り行われた。
式が終わって、部活のほうに顔を出すと、顧問であるロバ男先生を筆頭に、後輩たちが、お祝いに卒業パーティーを開いてくれた。
最後に、ロバ男先生から告げられた。
『お前はもっと自分を大事にしろ。』と。。。
先生は、何もかも気づいていたみたいだった。
ボクの左手首に刻み続けられている傷も、病気のことも。。。
無論、ボクが死にたがっていると言うことも。。。
卒業式が終わった次の日の朝、大学入試のために、ボクは飛行機に乗った。
25日の試験までの5日間は、大学の側の親戚のうちに厄介になった。
今度の土曜日、3月6日に、結果が発表される。
一応緊張しているらしく、卒業してから今日まで、夜が眠れなくなった。
いつも3時4時まで起きては、昼近くまで寝ている。
今日に至っては、ちゃんと起きたのは、午後3時8分。
昼夜逆転の生活には慣れていたが、少し疲れが溜まってきた。
引越しの準備を進めながら、今度病院に行く日を考える。
目が覚めたら、病院のベッドの上だった、なんてことはよくある話だったが、そろそろそれにも飽きてきた。
この身体が、邪魔になる。
みんなと一緒に走り回ることも出来ない、この身体。
もうそろそろ、終わらせようかと考えた。。。


散文(批評随筆小説等) 12年間の入院と、高校生活を振り返って。。。(長いので暇つぶしにどうぞ。) Copyright Lily of the valley 2004-03-04 01:43:32
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