工場安全週間
佐々宝砂

壁には緑十字。
せわしなく響く電子音、明滅するランプ。
工場で人を動かすものは。言葉以前の。

  *

あぶらぎったシニフィエが
タンクになみなみと揺れ。
それは銀色の極太チューブによって運ばれ
ゲル化したシニフィアンの詰まったタンクに
いきおいよく注入される。

そこに乳化剤を投下する。
攪拌されたのち、
小綺麗な瓶に小分けされて、
灰青色のラインに流れてゆく。
ここまでの作業は完全自動制御されている。

大量生産品だがオーダーメイド感を出すために
すべて個別に包装する。
化粧箱には香料を落とす。
たまに悪臭成分を添加したりするが、
好まれるのはフローラル・ブーケの香りあたりだ。
「誰にでもできる清潔なお仕事です」と
求人広告にあったように流れ作業は簡単で清潔、
悪臭成分はマスクで充分防ぎうる。
どっちにしろ、香りは香りに過ぎない。

  *

チャイムが休憩時間を知らせる。
黙々と休憩室に向かう工員たち。
廊下にも緑十字。

  *

珈琲と緑茶と紅茶と甘ったるいジュースのにおい。
床におちたポテトチップのかけら。
口紅のにおい。煙草のにおい。

工場安全週間用に標語をつくれと課長がいう。
QCサークルひとつにつき必ず標語一個提出!
期限は今週金曜午後4時。
えーめんどーくさいよーと工員たちは騒ぐ。
休憩時間は瞬く間に過ぎてゆく。

休憩室の壁にも緑十字。

  *

ノー残業デーだったので都合がよかった。
QCサークルのリーダーたちは
近ごろは使われていない西B生産棟に集まった。
工場安全週間用の標語をつくるために
かつてオーダーメイド生産のために使用されていた
ショート・ラインを動かそうという魂胆。

タンクに「工場生産現場の安全確保・危険回避」を入れ、
もう一方のタンクに五十音を流し入れ、
乳化剤をポンプで送り込む。

ずるりと押し出されてくる、
「危険の種は足元に ヒヤリハットを忘れずに」
「みんなで持とう危険の知識」
「ヒヤリハットの芽を摘んでみんなでつくる安全工場」
「ヒヤリハットは危険で安全のコウバは確保でカイヒの」
「危険気圏棄権安全暗然カイヒコウバコウ……」
ガタガタガタグググググググググ
ガガガカカカカカカ、ギ。

機械がひどく震動し、
危険を知らせる真っ赤なスランプ・ランプが点滅する。

「五十音じゃダメだったかな、いけない」
「広辞苑注入しとけばよかったね」
「どうしよう」
「どうするんだっけこういうとき」
「ああだめだどうしよう、まずいやばい」

   爆音。

崩れ落ちた西B生産棟の壁にも緑十字。


自由詩 工場安全週間 Copyright 佐々宝砂 2006-08-06 11:26:25
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