カマキリ
杉菜 晃


カマキリを殺した
あんまり威張つてゐるから
縄張りでもないのに
アスフアルト道のまんなかに出て
仁王立ちになり
人を通すまいとするから

私はその夏 傷心を抱へて
祖父母の郷へ帰つて行つた
幼少を過ごした私の郷でもある
いまや過疎の村となり
無人の駅で電車を降り
山に沿つた田舎道を
うらぶれ果てて辿つて行つた
降り注ぐ日の光だけは昔と変らず
いちめん白くきらめいて
日の海となつてゐる
癒しをこんな村里の自然に求めたのは
間違つてゐたのだらうか
ふとそんな疑念が来て
それでも車輪つきの旅行鞄を
がらがら転がして進んで行つた
進み行く先に緑色の小さなものが
立ち塞がつてゐる
それが殺戮の対象となつた
カマキリだ

もしやこの山沿ひの道は
私の祖父母の代より
もつと古くからの
カマキリの先祖の土地であつたといふのか

さうはいつても
人より千倍も小さいなりして
何より虫のくせに
かくも尊大に構へられると
小悪魔を前にしてゐるやうで
黙つてはゐられなかつた。

ことに私には大変な夏だつた
降り掛かつてきたまさかのリストラ
それが動因となつた彼女との別れ
この二つだけで充分だらう
しかもそれが
私の失意の生ひ立ちと
不可分に重なつてゐるといふのだから
本を正せば両親の離婚だ
傷ついても
親の元へではなく
祖父母の郷へ帰つてきたところに
そもそもの問題がある

きつとカマキリには
小悪魔がのりうつつて
私を待ちかまへてゐたのだ
人生に倦み疲れ
哀れに憔悴して
傷心を慰めに来た男を
追ひ出さうと
こんな辺地にまで先回りして
待ち構へてゐたとは
悪魔の先鋒となつた
カマキリを埋葬せよ!

私は頭に血が上つて
カマキリを蹴り倒した
その上に旅行鞄の車輪を
執念く往復させ
形なきものにした
つぎに汚れた旅行鞄の車輪を
道端の草の上に転がして洗浄した

現場を離れ 振り返ると
カマキリは 踏みにじられ
青汁を出す一本の草と変はりなかつた
すぐにも炎天に干され
埃のやうに風に舞ひ上がつて
跡形もなくなるだらう
塵に還つたのだ
人間とてそれに変らない
私は清清して
そこを遠ざかつていつた


 ☆

私はその夏を とにかく乗り切つた
後になつて思ふに
あのカマキリは
私の犠牲となるために
あへてあそこに
置かれてゐたのではなかつたか
それを私は
こともあらうに
悪魔の先鋒とみなして疑はなかつた
今はもうその土地に祖父母はゐない
たまに墓参りに出かけるが
一度もカマキリを見かけない


自由詩 カマキリ Copyright 杉菜 晃 2006-07-11 15:24:15
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