泣いてばかりいた - 1975年08月29日(金)
ともちゃん9さい

夏の釧路、日赤病院のカレーはくさっていた。

ぼかあうまれた。父ケイジ。母ミホコ。
イエス、ナンバーワンフル時計記憶のカナタ、
じいちゃんとそりすべり鼻イタ家帰りミーしたたる水てきすべりころび
泣いた。
じいちゃんその後ちんこから血がでて入院、しろいベッドヤセホソ違う顔、
うつる病気だとおもった。こわくて、手、じいちゃんの手、
にぎれなかった。
4歳はうつらない病気だなんて、なおらない病気だなんて、知らなかった。
まもなく止まった。まぶたうっすらひらいてひふがまっしろのじいちゃん。
おじいさんの古時計の半分くらいで死んじゃった。
私は手をにぎれなかった。

父ケイジ、3歳まで一緒に暮らしてたらしいがおぼえてない。
カーリーヘアの父の写真みてもピン子こない。
ある日自転車が届いた。
乗ろうとしたけどこわくて、乗りたくないと泣いた。
父の記憶は物置にしまわれた。
父からの自転車もちがう自転車も未だに乗れないティーンネイジ。

ばあちゃんつくる服がすきだった。セーター、ワンピース。
いっつもそれ着てと母に言われた。ばあちゃんが母で母が父みたいだった。

じみにゃん、シャムネコ。わんさくん、しろいざっしゅ。
じみにゃんのしっぽは私がかじったせいではげていた。

母が父じゃない男と暮らし始めた。じき子供がうまれた。
りえちゃん。父じゃないママの為の父、ままちちは、
いい男だったけど私にやさしくしてくれなかった。

りえちゃんがソファの上にねかしつけられて、
脚をカエルみたいにバネバネしてる。
落ちればいいのにとおもった。
りえちゃんのからだをソファぎりぎりにずらした。
どん。
りえちゃん落ちた。泣いた。
母が来た。私は何も言わなかった。りえちゃんは大丈夫だった。
やがて母とままちちは毎日けんかをするようになった。
母は包丁持ち出して叫んだ。私は子供らしく泣いて止めた。
ままちち出て行って、りえちゃん2歳。
りこんちょーてーというやつで、
ままちちとりえちゃんが一緒に暮らすことに決まった。
前の日りえちゃんと寝た。
保育園から帰ってきたらりえちゃんはいなかった。
あれから会ってない。

母は永ちゃんのレコード全部捨てた。
私は付属小学校エリート街道捨てた。
ばあちゃんはじいちゃんと必死で建てた家と広い庭の植物たちを捨てた。
札幌に出てきた。
その家は動物を飼ってはいけなかった。
私たちはじみにゃんとわんさくんを捨てた。汽車の中で泣いた。


散文(批評随筆小説等) 泣いてばかりいた - 1975年08月29日(金) Copyright ともちゃん9さい 2005-08-13 00:56:00
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