川村 透氏の2作品
Dr.Jaco

「夜のレモン」
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「コカコーラ・Listen」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=13896&from=listdoc.php%3Fstart%3D2370%26cat%3D6


「透」という名には親近感があって、何故かと言えばつい最近まで私の会社で
の上司の名前だったからである。ただそれ以上の親近感があったからこそ、こ
うして駄文を献上するのであるが・・・。

そもそも批評家では無く、作業として行うことはできない。親近感無しには何
も言えない。要するに好みということ。

その中での違い。聴こえるか聴こえないかということ。読んでいく。イメージ
が湧く。親近感も湧く、と、分岐点があるのは、彼が鳴らす「泡ぶき」とか、
「たぷん」といった音が、そこまで全く音のしなかった私のイメージに乱入し
てくるということ。というか、私は自分が書く時も人の書いたものを読む時も、
イメージに集中しようとするほど音が無くなってしまうのだ。

「夜のレモン」が死体のまぶたを見せる時、私はそれが見開くイメージへと誘
われ、思いきりそちらを妄想してしまって、それを「齧る」という「暴力」へ
傾いた。でも暴力はそのレモンの皮の造作であってそれはやさしい。
ぶるぶるっと酸っぱいのが寒いのか、戦慄すべき「君」の内部に触れてしまっ
たのか。
接触が遠回しに実行されつつある、その静かな号砲が「たぷん」って。
無限大の皮の内部への予感が聴こえるのだが、掌の微妙な揺れといった感触と
紙一重なのだ。聴こえたか触れたか分からない程度の静けさが私の親近感を維
持させていた。

そうした紙一重の、聴覚とも触感ともつかないコーラの泡。幼い頃、耳を近付
けた時の、弾ける微細な水滴の感触と僅かなサウンド。
夜は空白の漆黒なのか、黒いどろどろしたものに満たされているのかは、万人
それぞれの胸の内に聞いたら良いのだろうが、ここでは箱の中の暗がりの方程
式を満たす解のごとくコーラが注がれていく。

泡だけが、聴こえているのか、見えているのか、感じられているのか。
「Listen」で撹拌されていなかったら、この詩に親近感は湧かない。

暗い箱が、実はそうではなくて無限の暗黒の一部であると分かったなら、報わ
れることもある。ならば「Yes」と私も言うだろう。
静かな泡がそれを悟らせるなら、なおのこと愛おしいではないか。
(この辺は勝手な親近感だが)

夜が液体で媒介される。静かな夜に、それが非人称で行われることを作者は望
んでいるのだろうか。控えめな音使いにそう思う。

ただ、ヴィジュアルから突撃してしまう私などは、パッと朝日が差した時とか、
たまたまライトが灯った時とかに、何が現れるのかを予感させて欲しいと思っ
てしまう。暴くのでも晒すのでもなく、チラっとのぞく黒い下着のように。


散文(批評随筆小説等) 川村 透氏の2作品 Copyright Dr.Jaco 2005-06-26 23:17:02
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