動き続けてはいるが解釈は異なる
ホロウ・シカエルボク
轢死のような夜を過ぎて、細胞たちは摩耗していた、気分の萎えた腕みたいにだらりと垂れ下がったカーテンを殴るように開いて、狂信者のような八月の太陽を部屋に迎え入れる、間髪入れず始まる灼熱のパレード、それでも何も考えなくて済む分幾らかはマシだった、味気無い汎用型の住宅の壁や電柱に止まった蝉たちが軽く音合わせを始める、積み上げてある紙コップにインスタントコーヒーを入れて電気ポットの中で沸き立っている湯を流し込む、溶けて広がっていくその景色に奇妙なシンパシーを覚えるのは良いことなのか悪いことなのか、うんざりするほど同じ景色が続いている、ルーティンにしないための努力は欠かさないけれど時間的な限界というものが必ずある、コーヒーを少しずつ啜る、それはもう始まっている、区切られた一日は同じ行動によって消費される、消費される…そこで失われるものは財布の中の金なんかじゃない、もっと致命的な何かかもしれない、でも気付けないのなら問題にする必要すら無い、どちらでもいい、やらなければならないことは決まっているのだ、少しずつ飲むのが面倒臭くなってくる、火傷を承知で流し込み、痛い思いをする、何度同じことをすれば気が済むのだろう、これに関しては死ぬまで直る気がしない、気持ちが急いてしまう、忘れてしまって、冷めてしまうのが怖いのかもしれない、温くなったインスタントコーヒーには確かにこちらを咎めるような何かがある、俺はそれを―インスタントコーヒーに感情があるというのか?だとしたら俺は狂っているのではないか、まともだと保証出来る何かがあるわけでもないが、どこからが正気でどこからが狂気なのかと考え始めるとどうしようもないことになる、俺は俺一人しか居ない、いったいどこにその線を引くというのだ?まともだろうと狂っていようと、その時出来る生き方を選択し続けるしかない、その先にしか人生というものの手応えは無いはずなのだ、他人の物差しを借りて平気で良し悪しを決める人間になどなりたくない、それはもっとも安易で愚かしい行為に違いない、でもほとんどの人間がそういうものを常識と呼ぶ、ならば俺は常識知らずさ、所詮そんなもの処世術に過ぎないんだ、人が一人、人生を生きて死ぬこととは何の関係も無い、そこにはすでに設えられた道があってはならない、すでに決められたルールがあってはならない、あらゆるすべてが自分自身によって決められ、実行されなければならない、そしてそれは、様々な要因によって常に変化し続ける、人間の心が一定ではないからだ、それと同じように広がる世界でなければならない、「こうしないと」で動いていたらそのうち窮屈になることは想像に難しくない、どんなきっかけで、どんな理由でその道は始まったのか、その道に足を下ろしている自分の心にあるものは覚悟か、迷いか、どちらかに決める必要は無い、覚悟なら覚悟なりに、迷いなら迷いなりに動けばいいということだ、動きたくないのなら動かなくたっていい、いやそれでも無理して動くのだというなら、どうぞご自由に、大切なのは自分の内外を瞬時にキャッチ出来るかということ、自分の内側で何が起こっているのか、自分の外側でなにが起こっているのか、それによって行動を決定すればいい、そう、大切なのはその選択の是非では無い、キャッチし続けるその精度だ、あらゆる電波を受信することが出来る高性能のアンテナのように、すべてを飲み込めばいい、意味があるものは残るし、無意味なものは忘れる、例えばその時点では無意味で忘れ去られたとしても、それが必要な瞬間が来れば必ずそれは記憶の表層に浮かび上がってくる、優秀な倉庫番が居る、どんな瞬間にも必要なものをさっと滑り込ませてくれる、現象とは波だ、同じようなものが寄せては返す、それ自体には何の意味も無い、何度も言うように―それに意味を見出すのは受取る側次第だ、何も見つけられなければそれは惰性の向こうへと押し流されるし、何かを見つけることが出来ればその日の糧になる、成長へのひとつの種になる、ランダムに棒が落下してくるのを受け止めるゲームを知ってるか?あれと同じようなものだよ、数を稼ぐことが目的では無いが、瞬時に判断して手の中に収めるという意味では同じものだ、あれを如何なる制限も無しに毎日繰り返しているのだと思えばいい、なにかしら手にすることが出来れば得点が入る、それは明確な数字では無いけれどね、そいつは間違いなく生きていく上での得点になるのさ、世界のすべてを自分自身の裁量で変換出来る日が来るなんて思いはしないけれど、自分が生きている限りそれは続いていくのだろうね、そんなゲームを知らない人間たちが日頃どんなことを言って、どんな暮らしをしているのか目の当たりにしていればとてもそこから降りることは出来そうもないよ、カップを片付けたらどこかに食事にでも出ようか、整理するのに丁度いい本棚なんかを探しに行くのもいいかもしれない。