言葉の魔術と感動『松本隆の赤いスイトピーにみる』
洗貝新
春色の汽車に乗って海に連れて行ってよ~
~
ご存じのように松田聖子による大ヒット作である。
作詞は松本隆そして作曲は呉田軽穂(松任谷由実)で、この仮名は
往年のハリウッド映画の大女優、グレタ.ガルボから持ってきたらしいのだが
、当時は気にすることもなかった。
松本隆によれば、歌詞冒頭の春色とは、子供の頃に記憶している湖南電車から想いを浮かべたらしい。
汽車とは言っても当時は既に電車であろうから、これは言葉尻をメロディに合わせたものだろう。
当時の松田聖子の雰囲気にピッタリで、
ピュアで可憐な少女から大人の女性へと移り変わる、
そんなイメージも浮かんでくるのです。がこれほどまでに少女の気持ちを代弁できるとは彼、松本隆という人物は実際ロリコン趣味人だろうか?
?それはともかく松田聖子のイメージを念頭に、作者の松本隆はまるで自分が当時の恋人にでもなったかのように、
想像し想いを巡らしたことだろう、と推測できるのであります。
これはよく知られた逸話で、その当時(1982年)はまだ赤いスイトピーは存在していなかった。
そんなことも知らずに松本隆はスイトピーの色を赤く染め上げてしまった。
歌がヒットしたおかげで品種改良を繰り返し、ようやく赤いスイトピーが誕生したのが2002年。
実に18年もの歳月をかけるほど、この歌の存在感は大きいのだ。
春をイメージさせたのだろう。
花の名前をスイトピーと持ってきたのは単にメロディ、音韻との合わせがよかったからだ
と、松本隆は後に述べている。
しかし、仮にこれが白いスイトピーだったなら、
この曲はこれほどまでに流行歌として受け入れられただろうか。
~心の岸辺に咲いた白いスイトピー
このことに作者をはじめ誰も気付かなかった、というのも珍しい。
まさに怪我の功名ではないか。
~赤いスイトピー。
なんの抵抗もなく耳に馴染んだ言葉として周囲も受け入れる。
存在しない現実感覚。
これこそまさに言葉による偶然の魔術ではないだろうか。
※ごめん、眠たい。翔平も投げてる。録画して、ひと寝入りしてから感動へ続きます。
陽翳す(かざす)瞼の手のひらで
負いた艀が荷を運ぶ~ ※替え歌港町ブルース
『感動は共有されることで何倍にもなる』
松田聖子のコンサートではエンディングに「赤いスイトピー」が歌われる。
その際には観客によって大合唱になる、という。
男性のわたしにもその熱い声援は胸をふるわせて充分伝わってくる。
もっとも同じ世代を共有していたおばさんたち(おっと、この言い方は失礼ですね)よって占められているのは安易に想像できるが、
彼女たちの目元からは、あの頃の眩しい光りが時をさかのぼり、一条のドラマに再現されて記憶から溢れ零れてくるのだ。
そういえばコロナ感染によって無観客となってしまった2020年の第71回紅白歌合戦は寂しく幕を終えたが、
茶の間で観る我々には、また違う感動に溢れ共有できたようにわたしには映った。
出場する歌手たちが歌い終わる度、頬を染めて惜しみない拍手を贈る司会者たちや
、出場した歌手たちのリスペクトする姿が画面に映し出されるとき
それをテレビという作られた枠の中でも観客のように眺めている自分を想像し、実感として伝わってくるからである。
わたしは以前NHKホールで収録放送されていた、ジャニーズのメンバーによる少年倶楽部をよく観ていた。
もちろん世代間の差は海面と深海1万メートルほどの開きがある。
舞台に弾けるのはポップアップされたノリのある軽い曲とアクロバティックな激しいダンスばかりで、ターゲットはテイーンエイジの女の子たちに向けられているからだ。
いかにもスウイートフルで愉しめる番組だった。しかし、
なぜ普段から聴かない、若くて幼くて、興味も薄い、
そんな歌手たちの番組に夢中になっていたのだろうか。
確かにあのアクロバティックな踊りに70年代を思い起こされるような軽快なリズムは、観ても聴いても気持ちよい。
だがそれだけではないようだ。
ときどきカメラによって映し出されるピンクや黄色に染まる少女たち
その夢中になって声を挙げ歓喜する姿が、眩しくて、
観ている深海魚のわたしにも、感動は津波のように押し寄せて笑みに変わる。
共有として伝わってくるからだろう。
。