去るものは追わぬ、イタリア人のスケッチ
鏡文志
ナポリタンのアンポンタンが、パスタを食べながら私にこう言った。
「詩は嫌いだ。偉そうだから」
それを受けて私はフォークを皿に大袈裟に当てると、ナポリタンのアンポンタンにこう言ってやった。
「詩が、なんで偉そうなんだ? ものを考えることはとても尊いこと。誰だってやってることさ」
ナポリタンのアンポンタンは、今度はピッツァを口に運びながらこう言った。
「サッカーには、サッカーの神様がいる。詩にも、詩の神様がいるのかも知れない。でもサッカーの神様は詩については語らないが、詩の神様は詩について語らせようとするし、その他あらゆることについて語らせようとするだろう?」
それを受けた私は呆れ顔で、今度はスプーンをスープの上で大袈裟にかき混ぜ、ナポリタンのアンポンタンにこう言ってやった。
「つまり、世の中のあらゆる種々細々の神様は全体を俯瞰することはないが、言霊の世界のおける神様は全体を包括して語るため、欲張りで偉そうだってことかい?」
ナポリタンのアンポンタンは、話に夢中でピッツァにタバスコをかけ忘れたことを後悔しながら頭を掻きながら、私にこう言った。
「そうかも知れないが、サッカーにはその言霊が必要かも知れないけれど、言霊にはサッカーが必要ないんじゃないだろうか? 全体にとって部分は、なければ他のものでも代用可能なのでは? しかし、部分にとって全体は不可欠だ。そう思うから詩が偉そうに感じてしまう」
それを受けて私は、今度はトマトソースのかかったキャベツをフォークで刺して口に入れ、頬張るとナポリタンのアンポンタンに、こう言ってやった。
「偉そうなことと、尊いことは違う。優しそうな人と、優しい人も違う。詩が全てを語ると言ったが、詩は全ての部分的現実を必要とする。在るもの=つまり現実から目を逸らさず包括し続ける許容性と寛容性を持っているのが詩なんだ。つまり知恵や言霊と言うのは、最も気高く最も優しく、認識世界と言うものを押し広げながら、部分を通して全体の本質を語るんだ」
ナポリタンのアンポンタンは、パルメザンチーズを振り振り陽気に振る舞うと
「言葉は空気に消えると、しばらく人々の脳裏に刻みつけられる。美味しいものや、イタリアの陽気。そういった、その日のうちに消えてなにも残らないものがオイラは好きでね」
消えていくものを、いつまでも追いかけるのは女だ。俺は女々しい男は好かんと、ナポリタンのアンポンタンはランチを食い終わった後会計を済まし、文学素人肌の自称詩人である私をからかうように店を出て行った。