なんという無惨なことでしょう。
いや、ある意味、微笑ましいというか
悲しいようで滑稽でもある日本のご高齢の方たちの尾羽打ち
枯らした純情に、やつがれもとほほです。
護憲派の集会はどこも平均年齢が70歳超えです。
そこで昨日はなぜ若い人たちは憲法にも民主主義にも
戦争の加害責任にも背を向けるのかという話をしました。
はじめて聞く話だったと思いますけど、
「笑い声の絶えない護憲派集会」という希有なイベントに
なりました。
(11:01 AM · Jun 14, 2023 内田樹)
「若者の戦争責任」等について語る集会を開いたところ集ま
ったのは平均年齢が70以上の老人ばかりだったというお話。
失礼ながら失笑してしまいました。
おそらく「戦争」とは先の太平洋戦争のことでしょう。
わたしのような中卒と違って東大を出た頭脳明晰な先生方が
戦後ほぼ80年にもならんとする昔の戦争の加害責任をいま
だに日本の若者に強いていることに驚きを禁じ得ません。
この80年間、日本の左翼リベラル知識人の方々は何をして
きたのでしょう。
少しも勉強しないで同じところをぐるぐる回っていただけで
はないでしょうか。
「少しも勉強しないで」ということの意味は、あの戦争が終
わった直後では戦争の原因を究明する多方面の深い研究資料
がなかった。しかしこの80年の間に先の戦争の原因はさま
ざまな角度から研究され、偏見を離れて自在にかつ多角的に
見る視座がいくつも与えられているのです。であるのに固定
した椅子から立ち上がって先の戦争を新たな角度から見よう
としないのはなぜか。なぜ日本人は心理学でいうところのぐ
るぐる思考(反芻思考)に囚われたまま80年を過ごしてき
たのか、ということです。
たとえばですよ、たとえば当時の米国の経済情況です。
1930年〜1946年におけるアメリカの実質GDP成長率を見れば
わかるのですが第二次世界大戦中の4年間、米国は「民主主
義の武器庫」と呼ばれ自動車会社までが戦車や航空機をつく
りそれを輸出して大儲けしたのです。だから恐慌不況にみま
われていた米国の実質GDP成長率は戦争中に爆上がりし、戦
争が終わると下降に転じています。
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6413743
これ、戦後米国が行っている、世界中に戦争を起こしては大
儲けするパターンと似ていませんか?
明らかに先の戦争には米国の経済が関わっているのです。
わたしのような団塊世代は子どものころ白黒テレビでした。
しかも画面は真四角ではなく角が丸く、表面が膨らんでいた
上に解像度は画素数720×480です。およそ35万画素数、電波
の都合でときおり画像が歪むというシロモノでした。
夜更けのドラマの多くは米国からの払い下げで、最初の頃は
アメリカ先住民(インディアン)が幌馬車を襲うというカー
ボゥイ物語ばかりでした。(『ララミー牧場』など)インデ
ィアンがどれほど野蛮で残酷か頭に叩き込まれたものです。
あと、ドイツを正義の米軍がやつける戦争ものも多かった。
(『コンバット』など)少しあとになると陰険で怖ろしい国、
ソ連から国を守る正義の秘密工作員のヒーロー物語が主流に
なってきました。これが戦争直後から1970年あたりまで続
いたわけです。内田の集会に集まった70代以上の高齢者と
いうのはこういうテレビドラマをみて育った世代なんですね。
わたしのようなひね者はこういったプロバガンダのおかしさ
に気づくものですがこころが綺麗で純情な少年たちは正義に
目覚めて、陰険で汚い日本帝国と日本人の所業を憎んだので
しょうね。しかもそのことによって米が日本人に植え付けた
贖罪意識からも解放されるという一石二鳥。
アメリカ先住民の幌馬車襲撃からはじまった米国の”正義の
戦争”はいつも粉砕したい弱い相手に先に手を出させるよう
に計画されていました。もうどうにもならないまでに圧力を
かけて先に手を出させ、そのあとでそのものたちを軽々と粉
砕し、邪悪として裁くパターンと決まっています。
たとえばベトナム戦争がそうでした。発端はトンキン湾事件
です。
1964年、トンキン湾で北ベトナム軍の魚雷艇が米軍の駆逐艦
に攻撃を仕掛けた事件ですが、ベトナムの南北統一を阻むた
めにアメリカはこれをベトナムに軍事介入する口実にしまし
た。
実はイラク戦争もアフガン戦争もアフリカや南米での戦争も
全部がこのパターンです。
わたしはしかしそんな邪悪な目論見にくみしないのです。
先の戦争責任を問うのなら当時の日米資本主義体制であり日
米の報道の在り方や日米知識人たちのクズぶりじゃないかと
思うのです。
80年たった今になって戦争体験のない内田樹のような者が
若者に"責任"を問うのはおかしいと思います。
戦争を考える材料として太平洋戦争や日本の中国侵攻につい
て考えることは非常に大事です。戦争の構造を解明し、二度
と戦争がない世界を求めることはとても重要なことです。し
かし、戦争体験もないくせに戦後生まれの者が戦無世代の若
者に「戦争責任」を問うなど少し違うのじゃないでしょうか。
そもそも今の若者に戦争加害責任を問うまえに本人が「わた
しの戦争加害責任」を語ってみるべきではないかな。戦後生
まれの内田をはじめとしてサヨクリベラルは誰一人そんなこ
とを語ったことがない。なぜかかれらは、戦争責任を人々に
問うことで、戦争責任を語ることを免責されていると考えて
いるふしがある。これは内田だけじゃなく辺見庸とかいう人
物もそうですし、本多勝一という人もそうです。
頭も尻尾もなく、時代の只中に突然生まれ、突然死んでいく
人間。そのような存在が知らない時代の歴史の加害責任など
とりようがない。それなのに何故内田樹を筆頭とするリベラ
ルはそんなことばかり口にするのでしょうか。大事なことは
戦争の原理を解明することです。戦争をなくすにはそれしか
ない。原罪意識が生み出すものは自由な発想や思考を奪うこ
とだけではなく、国全体としてみれば米中の経済的軍事的侵
略を無抵抗に受け入れいるだけです。
ツィッターXのコメント欄を読んでみると若者たちとおぼし
き人たちからの憫笑嘲笑のともなったコメントが延々と続い
ていました。その数数千。
マスクを外して電車に乗ろうとしても飲食店に入ろうとして
も拒絶されるこの日本社会独特の"空気"が80年前にもあっ
たことがどうして想像できないのか。
その圧力にだれが抗えるというのか。
ましてその戦争が終わって80年以上もたっている日本社会
の若者に
戦争の加害責任を押し付けようとする錯誤。
何百というコメント欄に「呆け老人」「頭がおかしい」「年
寄りは哀れ」という返信が延々とつづき誰一人内田樹に同意
する人がいなかったのもうなずける。
もちろんリベラルなら戦争反対に言説を投じるべきである。
しかし戦争を起こしてはいけないと思うのならアプローチの
仕方が完全に間違っている。
このアプローチの仕方では日本人に自殺をすすめるのと同じ
だ。原罪感に打ちのめされた人たちが裸になっていまや世界
中に侵略の手を伸ばして競争しあっている米中に対してさあ
殺せといってるのと同じである。
いや、滑稽であるが、純情かもしれない。
70代の純情である。
30年の経済沈下や米中による日本の富の強奪。やらせ放題
も「すべてわたしたちが悪いのです」という贖罪意識からき
ているところがあるとすれば、純情で悲惨だ。
そんな贖罪意識ではなく、戦争というものがどのようにして
起こるか。そこに何があるかしっかり知ることこそがわたし
たちの国が過去の大戦から学ぶべきものである。
しかしなぜか今のリベラルはそういう冷静で科学的な方法を
怖れて真逆のことばかりしている。
不思議な国だ。