父の隠し部屋
おまる
高校2年の、あと少しで夏になるという頃に、
「高校を辞めて東京にいく」
と言い出した。
すると数日後、蒸発して行方不明だったはずの父が突然、現れたのである。
記憶の中の父は、足長おじさんみたいなイメージで、恰幅がよく、優しかった。
しかし目の前にいたのは、痩せた、オールバックのやな感じの男だった。
十何年ぶりに家に帰ってきて、開口一番
「だったら家を出て働け」
「働かないなら死ね」
と言われた。
「わかった」
と答えた。
ものの数分で家族会議が終わり、父はまたいつ帰ってくるかもわからない世界へ消えていった。
メラメラと母がきていたのは気づいていたが、すっかりあきらめたのか「しょうがないか」と、翌日退学手続きに行ってくれた。
家出同然で上京した。
しばらく、ホームレス生活をしていた。
「新宿モア」というゲームセンターにたむろしている連中と仲良くなり、彼らを頼って宿を転々とした。
中野の老舗キャバクラで働いてた時は、在日の先輩に殴られたし、ヤクザにしか見えない店長にも路地裏に呼び出されて殴られた。
新宿にあるふぐ料理の店で働いた時は、板前に殴られて鼻を折られた。
17歳といっても、学生ですらないのだから、ようしゃもされない。
人界の底を漂流し、闇バイトまがいの仕事にも手を出したりした。
高認をとったのはよかったが、大学受験は全敗した。
19歳になった年に、福岡で父が末期の病だということで突然連絡が入り、お別れを言いに行った。
父が突然いなくなったのは、わたしが小学校にあがる前のことだ。
熊本の実家を購入してすぐ、仕事が忙しくなり、ホテル住まいの生活を送るようになったのだと、弁かいめいたことを言っていた。
福岡を起点とし、自営業をしていて、中国人を雇っていたと。
本当の事なのか嘘なのかはわからない。
男兄弟には冷酷な父も、妹にはとことん甘かった。
「なに?まいちゃん」
「福袋ほしいからお金ちょうだい」
「死ぬ寸前の人によく金の無心をするな」
「いいじゃん、安いし」
「いくら?」
と”パパ”は自分の財布をあさる。
「1万円」
「え?そんな安いの?」
とびっくりした顔で1万円を財布から抜き取るとそう言った。
「福袋だから、安いよ」
とマンサツを手にした妹は福岡の街に繰り出そうとする。
「なんかブランド物の福袋だと思ったよ」
そういうと、父はいつもの地方のグルメ番組を見だした。
「それじゃ、買い物行ってくるね」
と妹は父に手を振り、病室を出ようとした時
「まいちゃん、どうやって行くの?」
と質問した。
「地下鉄で行くよ」
と、言うと父はもう5千円手にとり妹にくれてやった。
「タクシーで、行ってくるといいよ」
「ありがとう」
と元気よく出かけていく。
「気をつけてね」
今思えばだが、父はなるべく一人になりたくなかったのかもしれない。
あのときの彼が人生で一番いい顔をしていたと思う。
歯はインプラントにし、手術の傷あとは整形外科で直し、目はくっきり二重にし、髪はふさふさしていた。
妹が
「何か人生でやり残した事ないの?」
と聞いた時も、
「ぜんぜん。全国のおいしいものも食べて思い残したことはないよ」
と、自信たっぷりに言っていた。
父は自分のことを侍だと言っていたらしい。
家族の為に、家を必死で守る影の男だと。
あとで主治医から聞いた話だが、母と妹が、付添でソファに寝ている時、父はその顔を見て泣いていたという。
なんだか、かわいそうだ。
日本各地の、いろんなところへ行ったと父は語っていた。
北海道はどこどこのお店がおいしい、京都は何々のなんとかがおいしい、宮崎はどこどこに行って、おいしいものを食べた。
沖縄はやっぱり、豚。
病室でくいもんの話ばかりをしていた。
わたしに対しては、照れもあったのかもしれない。
最期の日、車いすでホテルの中華店にいって、料理に箸をつけた矢先、体調が悪化した。
救急車で病院へとんぼ返りして、そのまま昏睡状態となって、逝った。
遺言は「分骨して坊主の親友に渡してくれ」というもので、意味不明だったが、火葬後、本当に謎のスキンヘッドの男が現れて、母が丁寧に分骨し骨を渡した。
直後、その男は失踪した。
おそらくは雇われた何者かだろう。
父の真意はというと、、(お察しください)
父は本当に侍だったのかもしれない。
たまに父が夢に出てくることがあるが、きまって一人でおし黙っていて、一瞥したら、すぐにまたどこかへ去っていく。
黄泉の世界に降りていくのだろう。