思い出は語られるためにある
岡部淳太郎
スマホが故障したので新調したけれども、前に使っていたSNSのパスワードが確認出来ないためにそれらのアカウントも新しくせざるをえずに苦心していたタイミングでchoriくんの訃報を知った。39歳。あまりにも若すぎる。変な話だが、自死ではなく病死というのは数少ない救いだったように思う。
知っている人にはいまさらの情報だろうが、choriくんは千利休の子孫で裏千家の正当な跡取り息子だったはずだ。そんな彼が詩を書いて朗読をして音楽をやっていた。いっけん堅苦しいとも思える家系の中で、やりたいことをやって自由に生き、そして逝ってしまった。晩年(と言うにはあまりにも早いものだが)あまりにも自由に生きすぎたためか、実家から勘当されたらしく、そのため本来は千という苗字だったのが変わっていた。
僕がchoriくんのことを知ったのはこの「現代詩フォーラム」に登録して活動するようになって少し経った頃のはずで、2005年の前半頃だったと思う。choriくんは若いイケメンであり詩の朗読の分野ではある意味スター的な存在だったと思う。それだけにテクスト至上主義を掲げる僕はchoriくんとの間には多少の精神的距離があったのは正直に言っておかなければならないだろう。しかも悪いことに(と言うべきか)、彼は若いイケメンであった。多少の嫉妬めいた気持ちもあってか(非常にくだらない感情だと、いまになって反省するが)choriくんに対する印象は初めはよくなかった。しかし、ウエノポエトリカンジャムという一大朗読イベントや詩集や同人誌の即売会であるボエケットなどで実際に本人に会ってみると、その礼儀正しさと人柄の良さに触れて印象はいっきに好転した。繰り返すが、彼は詩の朗読の現場におけるスターだった。ウエノポエトリカンジャムで客席の端で見知らぬ若い男たちを前に即興(なのだろう)でラップのパフォーマンスをやっていたのを遠巻きに眺めてすごいなと感心したことがある。
正直僕は詩の朗読のシーンに積極的に関わってこなかったので、choriくんのことを詳しく知っていたわけではない。しかしながら、少ないながらも存在した思い出に蓋をするのもまた違うように思える。たとえ少なくても、思い出は語られるためにあるのだ。思い出を語らないままでいるなど欺瞞であるだろう。
僕はchoriくんのことをあまり知らない。僕以上にchoriくんのことを知っていた人は多い。だから、そうした人たちは積極的に彼の思い出を語ってほしいと思う。彼岸に渡ってしまった者の思い出を語るのは、此岸に遺された者たちの責務であると思うからだ。
しかしながら、すべての死者を記憶し語り継いでゆくのも限度がある。極端なことを言えば、人類がすべて滅んでしまえば、その思い出を語る者は一人もいなくなってしまうし、詩や詩の朗読という文化も永遠ではないだろう。悲しいことに忘却はすべての死者に等しく訪れる宿命であるのだ。それでも、特定の人物について記憶する者がいる限り、その思い出を語るのが誠実な態度であるのは間違いないだろう。
choriくんは39歳。今年40歳になるはずだったと言う。ということは、今年57歳の僕からは17歳も若いということになる。それを思うとあらためて茫然とする。死ぬにはあまりにも若すぎる。そういえば、choriくんには悪い噂を聞かない。そのあまりに自由すぎる生き方が揶揄ぎみに語られることはあっても、彼について叩くような人も見なかった。そのへんはchoriくんの人徳であるのだろう。正直、僕が死ぬ時にこんなに多くの人から惜しまれ語られる自信はまるでない(何せ岡部淳太郎ってありやなんだと言われたぐらいなのだから)。
ともかく思い出は語られるためにあるのだから、choriくんについての思い出がある人には思う存分それを語ってほしい。そして十二分に語り尽くしたら、そうした思い出をそれぞれの胸の中にしまいこんで温めるのだ。まるで親鳥が卵を温めるように温めて、それが新しい作品もしくは思い出を通った上での新たな生き方という雛になって孵るのを待つのだ。故障したスマホは新しいものに買い替えることが出来るが、人のいのちはそう簡単には行かない。だからこそ思い出は語られねばならない。死は誰にも平等に訪れるのだから、自らの死もそう遠い日のことではない。自らがその後で思い出され思われるためにも、他者についての記憶は保持されねばならない。思い出は語られるためにあるのだから。
(2024年8月26日 PM9:53)