多作であること
岡部淳太郎
何日も詩が書けないと不安になる。これは昔からそうだが、特にインターネットを通して詩を発表するようになってからはその傾向にますます拍車がかかったように思える。そのため、年間100篇とか詩を書くようになっている。要するに多作なわけだが、おそらく多作であることは僕の詩を書く態度や動機と直結しているように思える。どういうことか。
正直に言えば、僕が詩を書くのは自己救済のために他ならない。若い頃から現在に至るまでずっと社会不適合者でありつづけた僕は、社会の中で自らを証明するすべを持たなかった。詩を書こうと思って書くようになったわけではなく、中学生の頃に何となく日々の懊悩を吐き出すようにして日記をつけていて、いつしかその中に自然に詩(のようなもの)を書きつけていた。それが僕の詩の始まりであった。その頃の詩(のようなもの)は既に忘れてしまったし、当時つけていた日記も破棄してしまったので、いまとなってはどんなものを書いていたのか知るよしもないが、そのようにして書き始めた僕が、書くことである種の快感を得ていたとしても不思議ではない。子供の頃はそれなりのいじめを受けたこともあったし、中学に上がってからも運動神経が悪く、かといって勉強の成績が優れているわけでもない、特に誇れることもなかったゆえに、書くことがそうした心の突破口になりうると思ったとしてと不思議ではないだろう。
そのようにして、自らを救うために、僕は詩を書いてきた。実際、詩を書くことで救われた感覚はあったし、そのことで延命出来たという感じはあった。詩を書いていなければ僕は無でしかなかったし、それは社会人というものになってからも変らなかった。むしろ、その感覚はますます強まったと言っていい。学生の頃には曖昧だった人との差異というものが、年を経るごとにいよいよ露わになってくる。社会に出るということはそういうことである。僕は社会人になってからもまともな職に就けなければ、当然結婚するなども考えられなかった。人生の落後者としての様相をますます強めていった僕は若い頃以上に詩を書いているという事実に頼らざるをえなくなってきていたのだ。僕は自らを救うために詩を書かざるをえなかったし、その裏には自らをこのような状態に置きつづけてきた社会への不満も当然あった。
このような次第であるから、僕が自らを救うため、あるいは社会への復讐を果たすために、詩を多く書くこと、多作であるようになるのは、当然の帰結であった。また、自己救済が主な目的であるため、手っ取り早く快楽を得たい、つまりは詩を書くことの達成感を味わいたいという思いになるゆえ、一篇に時間をかけて何度も推敲するということにはなりにくい。だから、僕の詩はそのほとんどが即興である。即興で書いてすぐに読み返して、少し直して、それで終りである。なんとも手軽なものだ。人によってはこのような書き方は良くないと言うだろう。それはわかっている。わかっていながら、なおもこのような書き方を続けるのは、手っ取り早く書くことの快楽を得たいという思いと同時に、当初思いついた時の熱が時間を置くことで冷めるのが嫌だというのもある。僕に言わせれば、何度も推敲を重ねる書き手というのは結局才能が足りないのであり、だから書き直すことで自らを納得させているに過ぎない。自分で言うのも嫌らしいが、僕は自らの才能を信じている。だから、その才能から出た詩も信じるのだ(そうでなければ、社会の落後者に過ぎず詩に自らの存在を預けるしかなかった僕自身が報われない。自分が自分の詩を信じてやれなくて、誰が信じるというのか)。僕が詩の書き手として多作であるのは、以上のような理由からであるだろう。
もう一つ、多作であることから来る効果がある。それはそのようにして詩を書くという行為が日常の中で当たり前になることで、日常と詩がイコールで結ばれ、味気ない日常がほんの少しだけ善きものであるように錯覚していられるということだ。この錯覚という感覚はわりと重要ではなかろうかと思う。どんなに詩を書いたところで、生きて食べて働いて経済活動の中に自らの存在が投げこまれているという事実の大きさは変らない。多作であり、そのために自らの日常の中における詩作の割合が増すことで生じる日常イコール詩であるような錯覚は、ある意味幸福な錯覚であろう。その錯覚を味わうために、僕は月に10篇年間で100篇も書いてしまう。それはある意味ドラッグのようなものであろうが、違法でもなければある種の達成感も味わえるこのようなドラッグであるならば、僕でなくても味わいたいと思う人がいても不思議ではない。多作であることは、そのようにして自らを幸福にも錯誤させ、場合によっては救いもするかもしれない、最前の方法なのだ。
少なくとも、僕にとっては。
(二〇二四年四月)