近所の公園からのカムデンロック
番田 

このなんでもない時間を知る時に。倒れていた自転車が記憶の中で蘇る。そして近所にあった広い公園の景色が見える。ぼんやりとしていて、何をしていたわけではないけれど、眠かった。あの公園には今でも、あの頃と同じように野球をしにくる子供はいるのだろうか。それとも、僕の最後に公園に行った日のように、もう、そこには子供だった、友達はいないのだろうか、などということを考えていた。でもその日のことは覚えていなかった。やはり楽しかったときのことのほうが多い。僕にはやがて、釣りに行く友人ができて、彼とよく、川に釣りに行っていたが、それほど仲は良かったわけではなかったことを覚えている。そんなふうに人は大人になっていくのかと。自然の多い街で、バスも多くいて、県外から来る人間もいるほどだった。当時はブームだった。雑誌も売れ、ルアーもロッドも売れ、メッセではイベントも開かれた。僕も、その友人と二人でそこにいった記憶がある。こんなふうに当時のことを思い出す日が来るとは思わなかったが。


手元にあったコーラは飲み干してしまい、もう、思い出すこともないけれど、カムデンロックは、印象的だった。ロンドンの、水路を行くボートでついた場所がそこだった。決してきれいな水路というわけではないけれど静かな水路だった。だからなんだか、心地は、良かった。晴れた日で、日差しがボートの中に差していて、誰も何も大声では喋っていなかった。船の入口にはちょっとした菓子が売られていた。カムデンでは、水路のところに水門のようなものがついていてダイナミックな水しぶきが上がっていた。それを僕は見たのだけれど。


散文(批評随筆小説等) 近所の公園からのカムデンロック Copyright 番田  2024-05-09 01:42:12
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