ある街の美術館で
番田 

昨日、街の美術館で見た、映像作品をぼんやりと思い出す。それは、ハンガリーのどこかの工場で清掃作業に従事している男を扱った作品だった。特に映写的効果を狙ったものではなく、男の様子を淡々と写し続けた映像に、僕は特に感じ入るものもなかったが、その男は思想にふけり、体を鍛えるトレーニングを日々欠かさず行っているという旨の話が語られていた。そこでは、男が鉄棒で懸垂する様子の映像が映されていた。現代において、そのような人間は日本や諸外国にはあまりいないような気もしたが、あの映像が伝えていたことが何なのかを考えると、あまり、それは、はっきりしなかった。他には、台湾の縫製工場に勤務する工員の寝泊まりするベッドルームを再現した部屋など。僕はどこか、どうも釈然としない思いで、そして、その美術館を後にした。


美術館の前には、ちょっとしたモールがあって、スター・ウォーズのキャンペーンがやられていた。しかし、あのような美術館の展示を見た後では、それは同じ映像表現であり、視覚的に表現されたものではあったのに、どこか、相反するもののようにしてその時は目に見えた。日々精神と肉体の鍛錬に従事する青年と、台湾の縫製工場に勤務する従業員の、ドキュメンタリーのようだった映像。それらをぼんやりと思い出しながら、僕は、京浜東北線からの長い帰路についたのだった。



散文(批評随筆小説等) ある街の美術館で Copyright 番田  2024-05-07 02:07:52
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