子供の頃の音楽体験
番田 

昨夜、昔存在したシングルチャートを保存していたサイトがあったので見ていると、ぼんやりと、当時のことが思い出されて懐かしい気持ちになっていた。親の運転する車の中で聴いていたことのある色々な音楽。僕は、祖父の家に向かう車の中で、点々と流れた高速の照明をぼんやりと見ていたっけ。パーキングにあった、県の形のキーホルダー。そんな、分厚くて重いものは今ではどこのパーキングでも見かけないけれど。あれは、いつから、そこから無くなったのだろう。チャートに並んでいた歌は、確かにそこに僕のいた日に聴いた音楽と一致していた。カセットデッキにカセットを入れて、よく、それらを聴いていた記憶。夏の台風が来ていた日の窓。そこに僕は確かにいたのである。子供の頃の僕が木造の家の階段を降りた感覚もまだ残っている。僕もラジオを持っていて、それで聴いたラジオの歌謡曲はチェッカーズだった。当時の、ネットが無い環境の中では、何もスマホで検索することもできず、ラジオのダイヤルを回すことだけが唯一の音楽を聴く手段であった。CDのレンタルをしていた店も当時は少なかったが、その割には、当時のシングルチャートはそれに反してなぜか熱く賑わっていたものだった。CDを買う人が多かった当時はメーカーもそこにかける金が多かったからだ。今は、その逆であると言っても良い状況であって、熱さもなく、かけられる金も無いというのに、音楽を聴くための利便性だけが良くなっているように思うのだ。


2000年代はインターネットが一気に普及した時代だった。当時の米国は現在のようなインフレの状態をその力でもって打破し、経済における奇跡的なソフトランディングを達成した。確かに、それ以前の生活と比較した時にその影響の度合いを考えると、それを可能にしたことがうなずけるぐらいの力をネット自体から感じることはできる。誰も、ネットが無くなった時の生活を想像することができなくなるぐらいだ。昔は誰もがラジオのダイヤルを回してベッドで音楽を聴いていた。今はそんなことをするよりもポケットに入っているスマホの画面を手でタッチした方が早い。そんなことを考えながら、今日もぼんやりとアパートのガレージから自転車で通りに出ると、それからまた、隣町に向かってペダルをいつものように踏み込んでいた。


散文(批評随筆小説等) 子供の頃の音楽体験 Copyright 番田  2024-04-28 02:15:51
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