空白の歌たち
由比良 倖



雨に濡れた日傘を差して歩いていると、情緒がぐんぐん押し寄せてくるようです。街でも孤独になれるイヤホンは、私の防護壁にして武器です。私はひとりでなければ決して生きられない。あらゆる場所に孤独のスペースが無ければ私は窒息してしまうでしょう。
部屋に近付くと、段々生温かいゼリーに包まれていく私の身体。知らない方が良かったことはとても多いけれど、けれど私は魚から少しも進化していない。いまだに背骨と心臓だけが私の本質です。蝶だとか花だとか、知ったことではありません。何にでもなれそうな気がします。当然私は何もかもなのだから。
武器としての言葉が欲しいです。早く、早く、再び私は私の底に行きたいのです。社会に出て行けない私は、私の底の底にしか生の方向性を見出せない。けれどそこには、底には全ての生者と死者がいて、私は、人は、そんなに自分自身だけで出来上がっている訳ではないと知るのです。
誰よりも遠く、そして悲しい場所へ。悲しみの鈍い音……人と会ったあと泣きたくなるのは、人の名残が身体にあるから。無感覚さを立て直すための他人。けれど彼らに頼ってはいけない。永遠が私の身体をさらってゆくまで……神さまにも困ったものです、私に生活を与えながら、私が生活をなげうった時にだけ、天国を見せてくれるのだから……私はヘッドホンに籠もります。……私は私がいなくなる瞬間だけを求めています。会いたいな、という気持ちを、優しく、温かく抱きながら。泣きたくなって、歌いたくなって、また震えの中で目が覚めるまで。




風向き次第で、理由なんてどんどん変わる。
生きてる理由も、死にゆく理由も。
搾りたてのオリーブオイルみたいに、
空気はいつも揺れていて、
私が私である理由は、ただ、
お気に入りの黒い靴のおかげだったりする。


アメリカ大陸をつるつるに磨き上げるように、
ソフトクリームを両手に持つように、
十二本の鉛筆をふたりで分け合うように。
生活は「今」というアトリエ。


不安や動悸こそが恩恵なのだと、
命が尽き、全てが冬になるとき、
あなたは何か、多分風に似たものを感じる。


不安の無い世界で会いましょう。
私はギターの地図を持っていて、
あなたはピアノの地図を持っている。
部屋はとても四角くて、そこに白い陽が差して、
ガラスのような心拍を、
私たちはふたりで見詰め合っている。


ギターが一音ずつ揺れている。
脳/細胞に共鳴する酸素。
ただ光る波としての私を勝手に見ててもいいし、
誰も見てなくても平気。
宇宙の光や星の粒と、同じ呟きを、
手のひらの窪みに載せて。


少し楽しくて、全て繋がっているのはどうしてなんだろうと脳裏でテレパシーみたいに、私の心身が交信し合っている。
多分、誰かと一緒にくすくす笑い合えたら、最後の瞬間はそれだけでいい。
不完全なデータを残してきたけれど、最後はきっと笑顔で塗りつぶせる。
そして消えるんだ。


私たちはみな、誰もいない場所に住んでいる。
けれどちょっと大人になって、今日の祖母に「おめでとう」なんて言ってみたら?




全ての人は深海なので、人は人に簡単に溺れてしまう。
浅瀬だけを見て、通り過ぎてしまうことも出来るのですが。
私は深海です。深海で出会いましょう。


少しだけ睡眠薬の冷たい味がします。
リリカルで、赤くて、甘くて、白い味。
自分の身体を受け入れることが出来ないなら、
詩と小説を書くしかないんだ。
睡眠薬で身体と世界を曖昧にして。
私みたいにね。


静かで冷たい、ガラスの匂いに泣きたくなる。
私は今、ここにいる。お腹の奥の孤独感は、
私が生きている証。
新しいアルコールで拭かれたような秋、
心持ち乾いた空気、
ヘッドホンから流れる音が、
全身を満たしていく。世界の色が変わる。
……いつかの前世、全ては雨漏りだった。


そう、私はギターの地図を持っている。


人恋しくて、冷えた街にシロップを垂らしながら歩く。
ガラス張りの電車、その沿線住民となる。
全ての人がガラス越しに過ぎ去っていく。
有刺鉄線に張り付いて死ぬか、それともウォークマンの電源を求めて、永遠に彷徨い歩くか。
どちらも同じことかもしれないけれど。


あらゆる人は、沈みゆく都市を持っている。
岩場や寂しい季節を持っている。
私たちは、海底で笑い合いましょう。
死にゆく人たちを見て、海を弔い合いましょう。


《私は私の墓を見付けました。》という
《私は睡眠薬を飲みました。》という
そんな簡単な言葉さえ出てこないのです。
私はいつでも起きています。
私の墓を見せることが出来たなら、あなたは花を、
孤独の言葉を供えてくれますか?


私は「私」という言葉から自由になりたいだけ。
誰よりも孤独でいたいだけ。
静かに、ひとりでいたいだけ。
それが私の願い。全てが死に絶えていく世界で、
今、全ては生きているのだから。

私は、全てを見ていたいだけ。




ずーっとビリー・アイリッシュの歌を聴いていて、
彼女の歌の中でなら死ねると久しぶりに思いました。
僕は冷たい人間です。この家ではなくて人生が僕の家だと感じます。
この辺りには薄暗い図書館が無くて寂しいです。

痛みが欲しいです。世界中の白い部屋が真っ赤に染まるまで。
もうそこから動かなくて、
そこで死んでもいいと思えるまで、ここに留まる訳にはいかないのです。

傷付いて、傷付いて、骨さえも削げ落ちて、
僕が僕でなくなるその瞬間まで、……
そして雨が降り、僕の名前を溶かすでしょう。
名前が最初に溶け切って、最後に僕の命が、僕の命として、
それでもやっぱり自分って分からなくて、世界に
まじまじと見とれて、遊びたくて、孤独も寂しさもあって、
自分を受け入れたくて、弱くて強くて、強くて弱くて、
自信の無い僕のままで、ただ言葉を書いていたいと思うのです。


私は今、社会と繋がっている。コンセントと繋がっている。ケーブルのずっと先には、原子力発電所があって、青い核融合炉があって、私はそこから感情を供給している。
感情が溢れ出しては涸れ、溢れ出してはまた涸れる。
シューベルトを聴いてると二百年前と繋がっているし、バッハを聴いてると三百年前と繋がっているので、歴史なんてみんなドット絵のヴァーチャルで、そしてみんな嘘みたいに花の比喩みたいに感じる。

本当と嘘の区別って知ってる? その境目が無くなったとき、あなたは本当に生きてるし、私のいる本当の場所が分かる。何故ならそこには孤独があるし、この世の原理や輪廻からは外れるけれど、そこには純粋な感情だけがあるから。誰も私の好きな世界を壊せない。祈りが根拠となる場所に、私はひとりで佇んでいる。あなたが孤独であるとき、私とあなたは、きっと本当の意味で繋がれるよ。何故なら孤独の中には嘘も本当も生も死も無いし、何の境目も存在しないのだから。


どこまでが存在で、どこからが非在なのか、私には分からない。
誰も大人にはなりたくないし、老人になりたくないし、少女のままではいたくない。
どこまでが私で、どこからが私ではないのか、私は変化そのものなので、分からない。
全てが私だし、全ては私ではない。時によって、私はいないし、時々私はいすぎる。
そして私は地球の裏側にいる。見慣れた景色からはすごく遠い。
塩辛い空気を吸って、触ることも出来ない人たちと、見慣れない景色の中にいて、
これはゲームじゃないんだ、と確認して、そして一生泣けないと思う。

言葉を書いて、そしてそれを読んで貰える環境の中でしか、私は泣けない。


(心によって出来た結晶たち。)
雪の結晶のように歌いたい。


私には数なんてもう、何の意味も無い。
ヤマハのスピーカーが溺れてる。
窮屈になることって人間くさいけれど、
生き死にを気にしないとき、人は人に好かれるのだって。
雨の音を聴きながら、私は何万年も前に見付けた答えを思い出として、
電光掲示板の下や、廃墟の街で、
そこが私にとっての、人類最後の場所ならいいなと思う。


自由詩 空白の歌たち Copyright 由比良 倖 2024-04-23 21:09:06
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