鏡像(13)「脱走」
リリー

 「Wさん、新しい靴良く似合いますね!良かったですね。」

 廊下の手摺りを伝い一日のほとんど徘徊なさっているWさん
 たいてい誰かの目に、その姿は見留められていた
 彼女に言葉はなくても
 いつも にこやかに頷き返事は出来る

 担当寮母が預かり金で高齢者シューズ、リハビリスニーカーを
 購入した 新しい靴は彼女に歩いてもらうための物だった
 そして間も無く彼女は事件を起こした

 あれは寮父が宿直勤務だった二十二時過ぎ
 見回りで居室を覗いた彼は、館内中走り回って彼女を探した
 次長と主任へ緊急連絡し
 近所に住まう主任とチーママが車を出して捜索する
 たまたま施設前の車道を下って国道へ出た歩道で
 彼女の姿が発見された
 この騒動あって以後、正門は施錠されるようになったのだ

 ところが日中に裏門で同じ事が起こってしまう
 彼女は外を歩きたかったのだろう
 外出するには人手が足りず
 施設のレクリエーションでお散歩は少なかった

 命に関わる為、裏門にも施錠されるようになった
 やがて感染症で寝込まれた後に
 床上げしても車椅子で過ごしてもらうような
 組織としての、対応がとられるようになった
 
 まだ歩けるはずの認知症の人を、車椅子にしてしまうのか!
 私には、忘れられない記憶になった
 徘徊されていた時に見せてくれた彼女の明るい表情も
 乏しくなってしまった

 もう一度言おう、担当寮母が彼女に購入した新しい靴は
 歩いてもらう為の物だったのだ
 


自由詩 鏡像(13)「脱走」 Copyright リリー 2024-03-09 21:26:09
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